旧中島家住宅のヒ・ミ・ツ



旧中島家住宅のヒ・ミ・ツvol.1 〜旧中島家住宅はいつぐらいに建てられたの?人は住んでるの?〜



旧中島家住宅は、幕末から明治初期に建てられました。昭和60年ごろまで栗東市の霊仙寺(栗東駅近くの地域)に建っていて、建物に関する調査を行ったうえで、ばらばらにして博物館前に建て直したのです。
現在、人は住んでいませんが、小学校3年生が社会科で学ぶ「昔のくらし」という単元での体験学習の会場として、かまどの火吹きやランプの明かり体験などが行われています。
(2008年4月記)


旧中島家住宅のヒ・ミ・ツvol.2〜旧中島家住宅の屋根は何でできているの?〜



旧中島家住宅の屋根は葦(よし)という植物で葺(ふ)いています。また、庇(ひさし)部分は瓦で葺いています。葦は琵琶湖岸の特産品です。本来、旧中島家をはじめ、栗東地域では安価で入手しやすい小麦藁を屋根材として用いるのが一般的でした。しかし、小麦藁は10年程度で葺き替えが必要となります。このため、移築にあたって博物館では20〜30年程度の耐久性がある、葦を用いることにしたのです。
(2008年8月記)


旧中島家住宅のヒ・ミ・ツvol.3〜なぜ家の中に牛がいるの?〜


旧中島住宅の土間の奥にはウマヤとよばれる牛舎があります。田仕事に機械が使われだす前、牛は農家にとって田仕事を行う際の貴重な労働力であり、各家で家族のように大切にされ、屋内で飼われていました。ただ、旧中島家住宅のように家の奥にウマヤがあることは珍しく、多くは家の表側にあります。
実は戦前、中島家は米屋を営んでおり、土間の表側で商売をしていました。そのため、商売の邪魔にならないよう、奥にウマヤが作られているのです。(2011年11月記)

旧中島家住宅のヒ・ミ・ツvol.4〜屋根の上に載っているのは何?〜



旧中島家住宅の屋根の上にはキラキラ光るものが載っています。実はこれは、アワビの貝殻。
カラス除けとして、今でいう畑に吊るされたCDと同じ役割を果たしています。
当時の民家の屋根は今と違って藁や葦(よし)などの植物で葺かれており、鳥にとって巣を作るためのちょうどよい材料になっていました。しかし、あまりたくさん持っていかれると、雨漏りしてしまいます。そこで、貝殻の内側を向けて置いておくことで、鳥の目くらましをしているのです。
(2012年1月記)


旧中島家住宅のヒ・ミ・ツvol.5〜旧中島家住宅の窓を探せ!〜



旧中島家住宅において、現代の窓ガラスにあたる部分には、なにがあるでしょうか?
外との境目には、和紙でと木で作られた障子(しょうじ)が使われています。これが、今の窓にあたる部分なのです。けれど、雨に弱い素材のため、その外側には木の雨戸もつけられています。雨戸には木製のカギもつけられており、閉めるとと外からは開かない仕組みになっています。(2013年3月記)

旧中島家住宅のヒ・ミ・ツvol.6〜旧中島家住宅のお風呂〜



旧中島家の玄関脇にはお風呂があります。お風呂は、木を組んだ桶状の形をしていますが、桶と異なり、底がありません。底のない風呂桶は円形の鉄でできた平らな釜の上に置かれていて、釜を直接火で熱してお湯を温めます。そのまま入ると釜が熱くなりすぎているので、入浴の際はお湯に浮き板を浮かせ、その板を踏むようにして入ります。お風呂を使い終わると、風呂桶の栓を抜いてお湯を流します。栓のあたりはすのこ状になっているので、お湯はそこから下へ流れます。お湯の役割はこれで終わったわけではなく、トイレの下水と一緒になって次は肥料として使われるのです。(2013年4月記)


旧中島家住宅のヒ・ミ・ツvol.7
ダイドコにある藁の容器




旧中島家住宅のダイドコにある藁(わら)の容器はメシフゴとよばれるご飯を保温・保存するための容器です。電気やガスを使ってご飯を炊いたり保温したりする技術がなかった時代は、かまどを使ってご飯を炊き、炊いたご飯をオヒツとよばれる木製の容器に入れていました。メシフゴは秋・冬の寒い時期、オヒツを収めて使います。こうした寒い時期には、オヒツに入れただけではご飯はすぐに冷めてしまうので、保温力の高い藁でできたメシフゴに入れ、ご飯を暖かく保ったのです。メシフゴは昔の人の知恵と、おいしいご飯が食べたいという思いが詰まった道具なのです。
(2013年6月記)


旧中島家住宅のヒ・ミ・ツvol.8
水車はどうやって使うの?




土間にある水車のようなものは踏車(ふみぐるま)といいます。水位の低い川や池から水を引いたり、逆に水が多すぎる田んぼから水を抜いたりするのに使われました。米作りの過程において、水田への水の供給はその年の米の出来不出来を左右する重要事項で、中島家のような農家にとって水量を調節する踏車は大切な農具のひとつでした。踏車は羽(はね)と鞘(さや)の二つのパーツに分かれます。使う際には鞘に重しを載せるなどして固定し、羽の両側に長い竹竿を立て、これを支えにして歩くように羽を踏みます。そうすることで羽が回転し、水を揚げることができたのです。(2013年6月記)


旧中島家住宅のヒ・ミ・ツvol.9 〜旧中島家住宅の屋根裏部屋?〜

旧中島家住宅の天井部分にはツシとよばれる、一見すると屋根裏部屋のようにみえるスペースがあります。ここは居住空間ではなく、物置として使われていました。ツシへの出入口は土間の上にあり、梯子(はしご)で昇り降りします。収納するものが少量の場合は梯子を使いますが、大量であったり大型な場合には、出入口上部に常設されている滑車を使います。ツシに収納されるものには、藁(わら)や柴などがあります。藁は草履や縄を作るため、柴はかまどにくべるために必要だったものです。ツシは入手しやすく日常使う道具の材料や燃料となる、藁や柴などを保管する重要な空間だったのです。(2013年6月記)


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