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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 日本文化の特色は、弥生時代以降、中国や朝鮮半島から伝来した文化をそれまでの日本列島の文化に取り込みながら、歴史的に発展を遂げてきた点にあるといわれています。中でも古墳時代から奈良時代にかけてもたらされた、仏教をはじめとする知識や技術は、日本文化を語る上で欠かせない要素となっています。その影響が栗東でも色濃く認められることは金勝山中に残された「狛坂磨崖仏」の特徴からも、よく知られるところです。ここでは発掘調査の事例から、そのような伝来文化の一端を紹介します。
 葉山学区にある辻遺跡は古墳時代の大集落で、多数の半地下式の住居跡(竪穴住居)が発見されています。その中に、付設されたカマドから延びる煙道を室内に回らせて「オンドル」と呼ばれる朝鮮半島の室内暖房設備に類似した特徴を持たせた奇妙な住居(5世紀)が見られます。住居内からは朝鮮半島系の軟質の土器がまとまって出土しています。
 金勝川を見下ろす安養寺山の南西尾根上にある和田古墳群は9基の古墳から成る後期古墳(6世紀)です。墳丘内に構築された石の部屋(横穴式石室)の入口と奥室の境に段差が見られる構造は渡来人系の墓域として知られる上蚊野古墳群(愛知郡)や三ツ山古墳群(蒲生郡)などと類似した特徴を持っています。
 葉山川を見下ろす安養寺山の北西尾根上にある新開西古墳群は4基の古墳から成る終末期古墳(7世紀)です。墳丘内に構築された小規模な横穴式石室には有蓋長胴棺と呼ばれるふた付の長甕が残されていました。このような長甕を使った墓制の特徴は朝鮮半島南部からの系譜を引くものと考えられています。
 JR手原駅前一帯は古い瓦片が多数出土し、廃寺跡(7世紀)として知られています。出土した軒丸瓦は外縁に自転車のスポーク状の文様(輻線文)を持つもので、渡来系氏族の寺院に採用された瓦当文様の一種と考えられています。
 その他、上鈎遺跡では朝鮮半島に系譜を持つ壁持ちの建物(大壁住居)跡(7世紀)と見られる遺構、高野遺跡では鉄製馬具を製作したと見られる鍛冶跡(7世紀)なども発見されています。
 ところで、これらの遺跡の近くにはなぜか「五百井(廬井)」や「治田」、「高野」などの地名が遺されています。一方、古い文献(「日本書紀」「新撰姓氏録」)には「廬井造鯨」、「治田連」、「高野造」など、渡来人とされる人名の記載が見られます。もちろん、両者を同一のものとして単純に結びつけることはできません。
 しかし、そこから地域文化を覆う伝来文化(6世紀から7世紀)の厚みを、改めて感じとることはできそうです。
 このように、伝来文化の影響は畿内中央の政治動向とともに、6世紀以降の地域文化を考える上において見逃すことのできない要因となっています。
問合せ
出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514
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