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 りっとうの景観を語る
*ふるさと風景〜わがまち栗東〜を百年先の次代へと継承するため、「景観条例」「百年計画」を制定しました。
「すだじい」は、団栗の一種。団結する栗東市民を意味します。
 
第15回寄稿 中村 勘治

下鈎甲自治会長
ヘドロが育んだ地域愛 想いを一つに 住み続けたいまち・下鈎甲

 時代の変換点は常に押し寄せてくる。気付くか気付かないかが大きな分岐点になる。私の住む下鈎甲においても昭和30年代がそれに当たると今振り返ると気付かされる。60ヘクタールを越える農地に囲まれた小さな農村集落に道路(栗東志那中線)がとおり、工場が建設され、新幹線が走る。見る見るうちに生活様式は様変わりし、兼業農家へと突き進み、今まで無縁であった物質文明に埋没していった。そうして、知らぬ間に20年の歳月が過ぎていた。
 農地は3分の1まで減少し、集落内を流れる川は悪臭を放つヘドロに埋まっていた。
 昭和54年に、「何とかせねば」と先人たちが立ち上がった。「そうだ!河川の清掃をしよう」「毎月1回やろう!」「自分たちの在所は自分らで守ろう!」と環境への取り組みがスタートした。1年、2年と続けると徐々に効果が表れ、4年、5年になるとしっかり元の川がよみがえり、誰が言うとも無く「河川清掃の回数を減らそう」との声もあった。しかし、「安心したら元のヘドロの川に戻る!とにかく続けよう!」と、若い世代からの声に打ち消されて今日まで続いている。このように外から見ると異様にさえ思われる毎月一回の環境整備の継続から多くのことを学んだ。
 中でも、特筆すべきは「地域に歴史が無い」「遺跡が無い」と、無いものねだりで、行動を起こさない理由にしていたが、歴史は求めることではなく、「動き出した後ろに歴史は出来る」と、気づいたことである。
 目覚めた軍団は走り出した。まちづくりの先進地を求めて西に・東に・南に・北に「取り入れられる物はないか」と、視察を重ねて貪欲に吸収した。コイの放流・生活環境用水確保に地下水のポンプアップ・せせらぎ作り・間伐材の利用によるごみの集積場作り・プランターでまちを彩る花いっぱい運動などを展開していった。
 しかし、平成4年に新たな環境変化が起きる。組合施行による区画整理事業の完成がそれだ。一段と宅地開発は進み、住空間の危機を迎える羽目に陥ったのだ。まさに自分たちが選択した道といえども先々に対する不安は募る一方だ。こうした中、平成8年に「何とかせねば」とまちづくり委員会が設置されて計画的なまちづくり活動が歩み出した。
 手の付けどころを模索するかのように会議を重ねた。5年で延べ300回にも及ぶ会議、あるときは合宿研修で深夜に及ぶ激論もしばしば。その中から生まれたまちづくりの理念「住み続けたいまち・下鈎甲」を旗印にまちづくりは進められ、着々とその姿を現してきた。だが、まちづくりはハード面の整備で完結するものではない。ハードを道具として使いこなして、安心と安らぎを共感し、新たな活力を生み出す故郷作りこそが「まちづくり」ではないのか。百年先の子孫に、「先を生きた者の世代責任を果たしたよ」と、胸を張れる生き方がまちづくりの究極ではと思う。
問合せ
都市計画課 TEL551-0116 FAX.552-7000
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