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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 竹村定治さんは、大正14年(1925)に葉山村大字伊勢落(現在の栗東市伊勢落)で生まれました。
 幼いころから列車が大好きで、家の近くを走る草津線の列車の音が聞こえてくると、その姿が見えなくなるまで、乗せられている大八車の車輪をつかまえて動こうとせず、母親を困らせていたそうです。また、机いっぱいにレールを描き、「ゴットン、ゴットン」と言いながらその上をペン先でなぞって遊んでいたといいます。
 学校を卒業した定治さんは、昭和18年(1943)に国有鉄道(国鉄)に就職します。太平洋戦争中の応召出征を経て、昭和20年(1945)9月に国鉄に復職しました。
 復職後、大阪で勤務していた定治さんは、阪神百貨店の地下にあった模型売り場に足しげく通い、寄せ集めの材料で作られた鉄道模型を購入するようになります。自宅の仏壇の前にレールを敷き、購入した鉄道模型を運転していたといいますが、数十年にわたる定治さんの鉄道資料コレクション収集は、終戦直後の物のない時期から始まったのです。
 国鉄での勤務も順調で、昭和39年(1964)の大阪駅助役就任を経て、昭和41年(1966)から昭和56年(1981)の定年退職までの15年間は、関西鉄道学園の講師として後進の育成に力を注いでいます。
 関西鉄道学園の講師を務めていた時期に、海外の鉄道講師と知り合ったことは、定治さんの鉄道資料コレクション収集にも影響を与えたようです。定年退職後には、外国車両の運転台への添乗に度々招待されたほか、鉄道雑誌に海外の新型車両が紹介されると、現地へと足を延ばしています。趣味の旅行が海外にも向かったことで、鉄道資料コレクションの収集にも一段と拍車がかかるようになりました。
 定治さんは平成20年(2008)に亡くなりましたが、鉄道資料コレクションの収集は、体調を崩して入退院を繰り返す中でも続けられました。時には、車いすで東京まで鉄道模型の購入に出向くなど、鉄道資料コレクション収集への熱意は、生涯衰えることはなかったのです。
 このようにして収集された鉄道資料コレクションは、鉄道模型、記念切符やメダル、コインなどの鉄道記念グッズ、書籍や雑誌などの資料類など多岐にわたり、総数は3千点余りを数えます。これらのコレクションは、定治さんが亡くなる前年の平成19年(2007)に栗東歴史民俗博物館に寄贈されました。
 栗東歴史民俗博物館では、竹村定治さんが収集された膨大な鉄道資料コレクションのうち、特に日本国内を走行していた列車を中心に紹介する「竹村定治コレクション展〜鉄道模型の世界〜」を、10月11日(祝)まで開催しています。
※この展覧会は、市民参画と協働によるまちづくり推進条例に基づく協働事業提案制度の採択を受け、「栗東歴史民俗博物館市民学芸員の会」と栗東歴史民俗博物館が協働で取り組んでいます。
問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755
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