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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 江戸時代、市内を通る東海道沿いには宿と宿との間の休憩所にあたる立場が目川(岡)と梅ノ木(六地蔵)の2カ所に設けられ、多くの旅人でにぎわいました。立場には旅人向けの土産処や食事処が設けられ、ここで売られる土産や料理は、名物として旅の楽しみにもなっていました。矢倉(草津)の「姥が餅」や走井(大津)の「走井餅」など、立場から生まれた名物で、現在でも変わらず親しまれているものが数多くあります。
 目川田楽と菜飯は、目川立場の茶屋で出されていた名物料理であり、その様子は文化14年(1817)に発行された『東海道五十三駅名物合』や『伊勢参宮名所図会』にも紹介されています。この田楽について、天明2年(1782)発行の豆腐料理を紹介した『豆腐百珍』には、豆腐に串を刺した様子が、田楽法師が棒の先に取り付いた様子に似ていることからこう呼ばれるようになった、と記されています。また、その始まりについては、享保19年(1734)成立の近江国の地誌『近江輿地志略』に、この名物が目川村の隣にある岡村の住人によって考案され、両村の堺に出店したことから「目川田楽と菜飯」と呼ばれるようになったと記されています。
 資料から、目川立場には西から京伊勢屋、小島屋、元伊勢屋という3つの田楽茶屋があったことが分かっています。大正時代に京伊勢屋が閉店し、立場から田楽茶屋は姿を消しましたが、目川を発祥の地とする田楽は街道を通じて、西は京都・北野天満宮の門前町、東は江戸・浅草寺の門前町と全国各地に広がり、販売されるようになりました。こうした店では田楽・菜飯のセットが「目川」と呼ばれ販売されており、目川は田楽発祥の地として全国にその名を知られていたのです。
 栗東歴史民俗博物館では5月21日(土)、毎月開催している講座「かまどめしを炊こう!」の特別バージョンとして、「目川田楽と菜飯を作ろう!」を開催しました。今回の企画では、かつて小島屋の方から聞き書きした資料をもとに、岡の「めがわ田楽保存会」の協力を得て、目川田楽と菜飯を再現しました。(表紙参照
問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755

◆今後の掲載予定
りっとう再発見……… 9、10、12、1、3月号
すだじいの百年日記… 8、11、2月号

○できることから始めよう! 〜テレビとゲームの時間を「2時間以内」にしよう!〜
《川島隆太教授の脳科学からのアドバイス》
 “ゲームをしているときの典型的な脳のパターンを見ると、「前頭前野」の血流が、何もしていないときと比べてぐっと下がります。このパターン は、実は私たちがリラックスしているときの反応に極めて近いのです。ですから、ゲームが脳を休ませるという側面を積極的に利用してはどうかと考えています。つまり、「ゲーム」は脳を休ませるもの、「勉強」は脳を働かせるものなんだよと、親の口から理解させて、脳を使う勉強をやった後で、お休みにゲームをしましょうねという約束にする。上手に勉強とゲ ームをする時間をコントロールできればいいのではないかと思っています。”
 テレビやゲームの時間が「3時間以上」という子どもの割合は、学年が上がるにつれて増加しています。「ノーテレビ&ノーゲーム」デーなど、家庭で話し合い、一定のルールをつくりましょう!
問合せ
学校教育課 TEL.551-0130 FAX.551-0149
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