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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 弥生時代後期後半に特別な大型掘立柱建物が存在し、葉山川流域における中心的な集落として知られる下鈎遺跡について、以前は、弥生時代終末期の段階で集落の規模が縮小し、その役割が葉山川左岸の中沢遺跡に移動していくという考え方がありました。しかし、平成17年度に行われた下鈎遺跡の北端にあたる苅原地区の調査において、堰が築かれた河川が確認され、その中から出土した土器の研究により、大阪や奈良などの畿内をはじめ、東海や日本海地域など各地との交流を示すものを含んだ古墳時代初頭を中心とする土器が多数含まれていることが明らかとなりました。このことから、苅原地区には古墳時代になっても中心的な集落が存在したことが予想されることとなり、古墳時代になって中沢遺跡に集落の中心がすべて移動したのではなく、下鈎遺跡の範囲の中で場所を変えて存在した可能性がでてきました。
 ところで近畿地方最大級の琴が出土して話題を呼んだ昨年度の調査区は、以前の調査で大型掘立柱建物が2棟確認されている特殊な区域(祭祀に関わる地区と考えられています)から北側に約250m離れた場所にあり、ここでも弥生時代後期後半の遺構が確認されました。この遺構は、溝に囲まれた中に竪穴建物と比較的大きな柱をもつ独立棟持柱付建物が並列し、河川際には下鈎遺跡3例目となる大型掘立柱建物も新たに発見されるなど、一般的な居住域とは異なる建物構成を持つ地区であることが明らかとなり、首長居館のような施設がある特別な場所であったとみられます。
 そしてこれらの遺構が廃絶した後の古墳時代初頭には、遺構が周溝付建物、大型ではない中小規模の掘立柱建物によって構成されるという一般的な居住域の様相になります。しかし同じ調査で発見された、河川から延びる幅5m、深さ1.5mの規模をもつ大溝の存在は高度な土木技術を示すものであり、さらに河川から出土した琴や各地との交流を示す土器が今回も多数出土したことから、下鈎遺跡が古墳時代以降も葉山川流域の中心的な集落の一つとして存在していたことをあらためて裏付ける調査結果となりました。
問合せ
栗東市出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514

◆今後の掲載予定
りっとう再発見……… 10、12、1、3月号
すだじいの百年日記… 11、2月号

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 “私たちの研究で見つけたのが、「読み・書き・計算」の繰り返しが「前頭前野」を大変活性化させるという事実です。これは、3歳以降、大人になってからもずっと当てはまるといってもよいと思います。体を鍛えるために毎日ジョギングをしたり、スポーツの前に準備運動をしたりするのと同じで、「音読」や「計算」は脳の全身運動になります。特に小学生はたっぷり基礎学習をして、「脳力」を鍛える時期です。”
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問合せ
学校教育課 TEL.551-0130 FAX.551-0149
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