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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 栗東市は、本年10月1日に市制施行から10周年の記念日を迎えました。
 栗東という地名は、栗太郡の東に位置することに由来しています。栗太郡はもともと、栗東市全域のほか、大津市の瀬田川よりも東側、草津市全域、守山市の一部が属する広大な面積を持っていましたが、栗東市が誕生する直前には、栗太郡に属する自治体は栗東町のみとなっていました。そして、栗東町が市制を施行したことで、栗太郡は消滅することとなりました。
 金勝・葉山・治田・大宝の4カ村が合併して栗東町が誕生したのは、昭和29年(1954)のことです。昭和28年(1953)10月に施行された町村合併促進法によって、政府は町村合併を促進していきました。滋賀県での計画は、当時県内に160あった市町村を44に再編成するというものでした。昭和29年(1954)3月に金勝・葉山・治田・大宝の4カ村が組織した栗東地区合併促進準備会では、4カ村での合併が最適であるとの結論に達しています。
 この4カ村での合併が最適とされた背景には、純農村として歴史的に培われてきた伝統と、それに基づく経済的・地理的に密接な関係があります。また4カ村では、大正11年(1922)には手原駅の開業を共同の請願によって実現し、昭和23年(1948)には4カ村の組合立である栗東中学校を設置するなど、住民間での一体感が形成されていたことも、合併に向けた大きな原動力となりました。昭和29年(1954)の9月、4カ村の村長は連名で、栗東町設置の申請書を滋賀県知事に提出し、同年10月1日に栗東町が発足しました。
 栗東町は、人口15,426人の田園町としてスタートしました。以後、昭和38年(1963)の名神高速道路栗東インターチェンジ開業、昭和44年(1969)の日本中央競馬会栗東トレーニング・センター開場、平成3年(1991)のJR栗東駅開業などによって飛躍的に発展し、平成13年(2001)には市制を施行しました。それから10年を経て栗東市の人口は65,000人を超え、日々新たなまちづくりが進められています。
問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX 554-2755

◆今後の掲載予定
りっとう再発見……… 12、1、3月号
すだじいの百年日記… 11、2月号

○できることから始めよう! 〜「読書の時間」をつくって、読書の習慣をつけよう!〜
《川島隆太教授の脳科学からのアドバイス》
 “脳の司令塔といわれる前頭前野は、生まれてから3歳までと、小学5〜6年生から思春期にかけて、劇的な発達をします。数や文字を使うと、前頭前野がよく働くことが分かっているため、学校の勉強をきちんとやることは、やはり大事なことです。同じように、読書や読み聞かせをする時間も当然必要で、親子がふれあう時間、子どもが遊ぶ時間やスポーツをする時間も必要です。勉強も読書も親子のふれあいも遊びもスポーツも、バランスよくやるということが大切です。”
 学年が上がるにつれて読書をしなくなる子どもが増えています。たとえ10分でも「読書の時間」をつくって、読書に親しむ習慣をつけましょう!
問合せ
学校教育課 TEL.551-0130 FAX.551-0149
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