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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 今回は、新聞でも報道された奈良時代の竪穴住居を紹介します。竪穴住居は縄文時代以来の主要な住居ですが、奈良時代になると県南部地域においては掘立柱建物に移行し、造られなくなりました。
 今回発掘された竪穴住居は、奈良時代のものとしては、平成18年に同じ手原遺跡で見つかった住居に次ぐ2例目の発見です。
 竪穴住居の平面形態は一辺3.2mの正方形。床面積が約10uの超小型建物です。深さは25cm残っていて、壁北辺中央にはカマドが作られています。カマドは一般的に粘土で作られますが、今回見つかったカマドは、石と瓦を主に利用した大変珍しい構造でした。当時貴重品だった瓦は、近くの手原廃寺から運んだのでしょう。
 その構造は、薪をくべる焚口の左右に大きな石を据え、粘土と平瓦5枚を用いて構築していたようです。煙を屋外に排出する煙突には丸瓦を利用しています。このカマドで注目されるのは、住居床面に置かれていた長さ77cmの石材です。この石材は細長く加工した大きさや、火を受けて焼けていることから、もともとは焚口左右の石に乗せて屋根にしていたと考えられます。では、なぜこの重い屋根石をカマドから外したのでしょうか。
 カマド神は火の神信仰で、奈良時代の初めに完成した「古事記」に「竃神」が記され、遺跡からも「竃神」と墨書された木簡や土器が出土しています。火は食事や暖房など人間生活に欠かせない存在であると同時に、火事を出せばすべてを焼き尽くす恐ろしい存在で、長く宗教的象徴となってきたのです。平安時代の陰陽師、安倍清明は、使用されなくなったカマドを放置し祭祀が途絶えると「廃竃神」が生まれると言っています。
 このような理由から住居を廃棄する時に、竃神に立ち去ってもらうためカマドを壊したものと思われます。今回見つかった住居とカマドがなぜこの地に作られたかは謎です。奈良時代以降も竪穴住居を造り続ける東日本の文化とも考えられます。
※今回発掘したカマドは、12月17日から平成24年2月19日まで栗東歴史民俗博物館で展示します。
問合せ
栗東市出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514

◆今後の掲載予定
りっとう再発見……… 1、3月号
すだじいの百年日記… 2月号


 自分の思いを我慢することが難しく、集団から出てしまうことの多い5歳児のAちゃん。3歳児が初めて園外へ散歩に出る日、異年齢交流の一つとして5歳児と3歳児が手をつないで行きました。5歳児の方が多かったので、Aちゃんは同じ5歳児のBちゃんと一緒に3歳児のCちゃんと手をつなぐことになりました。自然とAちゃんとBちゃんは、Cちゃんを真ん中にして手をつないでいました。するとAちゃんが「せんせい、A、家族やねん!」と一言。何だろうと思い、話を聞くと、「Aがお父さんで、Bちゃんがお母さん、Cちゃんは赤ちゃんやねん。家族やろ!?」と誇らしげに話しました。自分はお父さんだから!と張り切ったAちゃんは、Cちゃんとしっかり手をつなぎ、元気よく散歩に行くことができました。5歳児といってもまだまだ小さな子どもですが、「頼られる」という経験は大きな自信につながるのだとあらためて感じました。
(園から)
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