◎安養寺の景観まちづくりに向けた想い…夢
現在、「安養寺景観まちづくり」として安養寺区民を中心に委員会が設置され、まちづくり計画を話し合っています。
「安養寺」の地名は、天平12年(740年)僧良弁により東方山安養寺が開基されたことによる由来が伝えられています。
江戸時代の絵図には、東方山を中心として丘陵部に集落、平野部には整然と方形に区画された水田が描かれており、村の中には1500年前から大切に守られてきた「椿山」古墳や「狐塚」古墳などが描かれています。
昭和29年(1954年)に治田村・葉山村・金勝村・大宝村が合併して栗東町となり、昭和32年に安養寺に庁舎が置かれました。この年には名神高速道路栗東インターチェンジの開設が決まり、昭和38年から昭和43年にかけて区画整理が行われ、安養寺の北部は商業用地やバスターミナルなどが整備され市街化が進められました。安養寺の世帯数、人口は栗東町合併時、43世帯、240人でしたが、現在では1400世帯、3800人を超える住民が暮らしています。
数千年の間、のどかな農村地帯であった安養寺は、わずか60年足らずの間に急激に様変わりしました。「全国で一番住みよいまち栗東」といわれ、多くの住民を迎えた安養寺が、子育てを終えた世代や、今、子育てに懸命な世代、そしてこれから社会に出て行こうとする若い世代の人々がみんなそろって住みたいまちであるような「百年先まで住みたいまち」を目指して…。
「季節の木々が色萌える里山安養寺山の風景をより美しく」、「日々の散歩が楽しくなる公園や道づくり」、「日々の生活がしやすい銀行や郵便局、市役所や商店などがそろった美しい街並み」、「ふるさとの文化に接しみんなが交流できる行事やまつり」、みんなで創るこんな『安養寺』を夢見ています。
※文書背景は安養寺を描いた江戸時代の絵図 |