隣り合う下鈎東遺跡と蜂屋遺跡では、近年の大規模開発に伴う発掘調査により、現在の水田下に多くの遺構が残っていることが分かってきました。耕作による溝や用水路などのほかに、屋敷跡とみられる掘立柱建物、井戸や墓などが発見され、平安時代末から鎌倉時代初め、おおむね13世紀前後の中世村落の姿が明らかとなりました。
一方、これら中世の遺構に重複して古代の遺構が発見されることも注目されていました。そして、ついに古代寺院跡が見つかったのです。
そのきっかけは、今から10年前、平成13年度の調査による、二重に巡る南北方向の区画溝の発見でした。やがて東西方向の区画溝も確認され、それらにより構成される一辺170mほどの方形区画の内側からは、7世紀後半から8世紀前半ごろの土器や瓦が出土し、奈良時代の初めのころの掘立柱建物・区画溝・柵列・溝・柱穴などを中心とする遺構群が見つかったのです。
そしてこれらが、古代寺院跡に関わるものであると判明したのが平成23年度の調査でした。
調査では、瓦が約3トン!(あまりに量が膨大すぎて重さで表現しました)も出土。その中には、軒先を飾った軒丸瓦・軒平瓦や屋根の大棟を飾る鴟尾片が約300点含まれ、軒平瓦の一部には、赤色顔料のベンガラが付着していたことから、甍を頂き朱塗りされた建物=寺院が存在していたことが、決定的になったのです。
そして、方形区画の中心部分に位置するその建物は、残念ながら後世に基壇ごと削られ、整地部分のみが見つかっているため、寺院のどういった建物に当たるかは分かりませんが、どうやら一棟だけの立派なものだったようです。
※今回紹介した下鈎東遺跡の古代寺院跡は、9月15日(土)から栗東歴史民俗博物館で開催する、特集展示「幻の白鳳寺院〜逸名の寺をさぐる」で紹介します。展示では、滋賀の古代寺院跡を取り上げ、その特徴を探ります。詳しい問合せは栗東歴史民俗博物館(TEL.554-2733 FAX.554-2755)へ。 |