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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 狛坂寺跡は金勝山中にあり、明治時代までお堂がありました。寺域にある狛坂磨崖仏は、古代の磨崖仏としては全国でも数少ないもので、国史跡に指定されています。製作年代には白鳳〜平安時代まで諸説があり、謎の多い石仏です。
 ところで栗東歴史民俗博物館で預かっている西遊寺鳳嶺関連資料の拓本集のなかに、「江州栗本郡駒坂寺廃跡瓦」と記されたものがあります。拓本に写された軒丸瓦には蓮の花の文様が付けられています。花弁は二枚一組で表現されることから複弁蓮華文軒丸瓦といい、「川原寺式」と分類される白鳳時代(7世紀後半)の瓦です。蓮の花の周りは無文で、蓮の花の種子にあたる蓮子は、中央に1個、その周りに4個、外周に8個配置されています。このタイプは近江に多くみられる川原寺式軒丸瓦の中では少数派ですが、草津市笠寺廃寺などに同類のものがみられます。
 この拓本を採った西遊寺鳳嶺は江戸時代(18世紀末)に生まれた草津の人。同じく草津に住んだ石の長者・木内石亭の影響で石の収集や研究を始めました。また石山寺座主尊賢(知足庵)も同じころの弄石家(注)で、木内石亭らと親しみました。尊賢の採った拓本集は『古瓦譜』として残されていますが、この中にも狛坂寺から出土した複弁蓮華文軒丸瓦が2点含まれています。そのうち1点の注記によると、寛政10年(1798)7月、観音寺村の常七と磯八が狛坂寺跡の地表から5尺ほど掘り下げて得たものを献呈したとあります。もう1点の拓本は、鳳嶺の拓本にある軒丸瓦と同じものから写したものとみられ、石山寺に集まった瓦をめぐり、江戸時代の弄石家たちが研究していた様子がうかがえます。
 江戸時代の先覚者が競って拓本を採った狛坂寺の瓦は、謎の多い磨崖仏造立の解明だけでなく、湖南の古代史を知る手掛かりとして貴重なものであるといえましょう。
*鳳嶺古瓦拓本集(個人蔵)は、10月21日(日)まで栗東歴史民俗博物館スポット展示で公開しています。
(注)【弄石家】…江戸時代に奇石を収集し、愛玩した人々
問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755

◆今後の掲載予定
りっとう再発見…12、1、3月号
すだじいの百年日記…11、2月号


 地域の人から次のような電話をいただきました。
 「スーパーマーケットへ買い物に行った時、食品売り場で職場体験をしている中学校の生徒に『これ、いただこうかな』と言うと、『ありがとうございます』と元気にお礼を言ってくれました。『気を付けてがんばりや』と声を掛けると、笑顔で『ありがとうございました』と言葉を返してくれました。心が温かくなり、とてもうれしかったので電話をしました。『よくがんばったね』と声を掛けてあげてください。」
 本校の生徒が校外でがんばっている姿を思い、電話を受けた私も涙が出るくらい、うれしい気持ちになりました。
(学校から)
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