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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 栗東市中沢にある平八池の北側にあたる場所で、6月下旬から9月中旬にかけて中沢遺跡の発掘調査を行いました。調査の結果、弥生時代中期後半(西暦0年)から古墳時代前期(4世紀)にかけての掘立柱建物、溝、土坑などが確認され、弥生土器をはじめ、石鏃、石剣、石包丁、石錘などの石器が出土しました。
 中沢遺跡は、栗東市の中沢、小柿から草津市の西渋川二丁目周辺にわたって広がる遺跡で、遺跡の広さは、東西約1km、南北約800mに及びます。弥生時代と古墳時代が中心となる遺跡で、とくに弥生時代は、前期から後期に至る400年の長期間に及ぶ集落が見つかっており、地域の拠点として機能していたようです。
 平成2年度から平成4年度の発掘調査では、平八池の西側で、幅約10mから30mを測る弥生時代の大きな川が見つかりました。川の南側では周溝墓といわれる弥生時代の墓が集中して確認され、集落の墓域(墓地)であることが分かっています。また川の北側では、掘立柱建物を構成する柱穴がたくさん見つかっており、人々が暮らした居住域と想定されます。居住域の周囲には集落を囲っていたと思われる溝が何条か確認されていますが、その広さは東西約300m、南北約200mの範囲であることが明らかになっています。時期は弥生時代の中期後半から後期(1〜2世紀)が中心になります。
 今回の調査でも弥生時代中期後半の溝が1条と、弥生時代後期から古墳時代前期(2〜4世紀)にかけての溝が2条確認されました。これらの溝は、一見守山市の下之郷遺跡のように多重(4条以上)の溝で集落を囲っているように見えますが、時期ごとに分けると隣接する下鈎遺跡同様、1〜2条の溝で集落を囲っていた可能性があります。このように集落を囲っていた溝や川は、地域や遺跡の立地する場所によっても違いが見られます。また、集落の領域や墓域、居住域などを分けるためのものだけではなく、灌漑や洪水対策、戦争や危険な動物に備えるための防御用など、溝の機能についてもさまざまな理由が考えられます。
 弥生時代の中沢遺跡は、溝一つとっても今後に残された課題はたくさん残されていますが、今後の調査で集落の様子が少しずつ明らかになっていくことでしょう。
問合せ
栗東市出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514

◆今後の掲載予定
りっとう再発見…1、3月号
すだじいの百年日記…2月号

《葉山幼児園》「チャレンジして 心も体も元気モリモリ!」
 葉山幼児園では、全園児で元気いっぱいに朝の体操をしています。また、体操の後には、登り棒や鉄棒・縄跳びにも挑戦しています。「できるまでがんばるぞ!」と意欲的に取り組んでいる姿がたくさん見られますが、時々「難しいなぁ」とあきらめてしまう姿も見られます。そのようなときには、友達と「一緒にやろう」「できるって」などと励まし合いながら『体力づくり』に取り組んでいます。これからも、仲間と一緒に元気いっぱい遊ぶことで自信を持ち、心の育ちにもつながるよう、この取り組みを続けていきたいと思います。
問合せ
学校教育課 TEL.551-0130 FAX.551-0149
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