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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 今から200年ほど前、江戸幕府は日本全国の測量と地図の作製を行いました。寛政12年(1800)から文化13年(1816)まで17年間かけて測量され、文政4年(1821)に完成したこの地図は、正式には「大日本沿海輿地全図」といいますが、測量の中心となった伊能忠敬(1745〜1818)にちなみ「伊能図」とも呼ばれています。また、測量の様子が分かる、忠敬本人の日記は国宝に指定されています。
 現在の滋賀県にあたる近江国での最初の測量は、文化2年(1805)に行われました。8月から10月にかけて琵琶湖周辺の測量を行い、これをもとに「琵琶湖図」が作製されています。この年の閏8月15日、忠敬は栗太郡北山田村(現在の草津市北山田町)の木内石亭(1724〜1808)のもとを訪れています。奇石の収集家であった石亭は、そのコレクションを自宅で公開しており、「東海道名所図会」にも取り上げられるほどの名所となっていました。
 翌文化3年(1806)の10月21日に草津宿に宿泊した忠敬は、翌日、東海道沿いの栗東地域の村々で測量を行いながら石部宿へと向かいました。草津宿から石部宿までの案内役は近在の大庄屋である勝部源蔵、竹村与市、武村隼之助が務めており、地元の人びとの協力を得ながら測量を行ったようです。また、道中の六地蔵村には織田、島林、大角の3軒の和中散屋があり、それぞれに立ち寄って茶を飲んだと日記に残しています。
 その後も、忠敬は文化5年(1808)と文化8年(1811)に東海道を歩いています。日記には、名物・菜飯田楽で知られた目川立場(現在の栗東市岡)のにぎわいや、六地蔵村の大角弥右衛門家に立ち寄って休憩したことが書き留められており、当時の旅の様子を知ることができます。
忠敬による測量が完了して今年で200年。彼の残した日記からは、地域の歴史の一端も垣間見えてくるのです。

※企画展「琵琶湖誕生―日本・世界が見聞した琵琶湖―」(10月8日〜11月27日)では、大正2年に里内文庫が「琵琶湖図」を模写した「琵琶湖近傍大絵図」を展示します。

問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755
《大宝幼稚園》「米づくり体験をとおして育む」
 毎年5歳児の子どもたちが、年間をとおして地域の人や、保護者の協力を得て、田植えに取り組みます。自分たちで米を育てることで、食に対する「ありがとう」の気持ちを育んでいます。
 地域の人には苗植えから収穫までに大切なことをたくさん教えていただき、親しみを込めて「米づくり名人さん」と呼ばせてもらったり、保護者には「米づくり応援団」として、子どもたちだけでは難しいところを助けてもらったりしています。
 秋には収穫した米を使って「おにぎりパーティー」を開き、お世話になった皆さんを招待し、「ありがとう」の気持ちを伝えます。
 さまざまな経験、人との関わりをとおして、たくさんの「ありがとう」を育んでいる子どもたちです。
問合せ
幼児課 TEL.551-0424 FAX.551-0149
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