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伝統を復活する力
 市内各所で祭りが行われる5月。一度は途絶えた祭礼行事を復活させた地域があります。
 前途多難だと言われながらも、復活を成し遂げた皆さん。二つの地域から、その原動力や道のりを追います。
5月4日
大宝神社
サンヤレ踊り
83年の年月を経て、住民の力で復活。
残っていた資料と、地域の宝として残したいという熱い思い。
地元に残る資料から83年ぶりに祭りを復活
 平成28年、83年ぶりに復活した大宝神社の「サンヤレ踊り」。この祭礼を現代によみがえらせたのが、笠川と市川原地域の皆さんです。
 サンヤレ踊りは、五穀豊穣を願い華やかな衣装で、囃子や歌に乗せる踊り。室町時代に始まり栗東周辺でも行われていましたが、大宝神社では、明治に入り途絶えます。大正4年に復興されましたが、昭和7年に再び途絶えてしまいました。
 復活のきっかけは、西村久さん(保存会副会長)が踊りに参加した女性の歌を収めたカセットテープを譲り受けたこと。西村さんは、滋賀レイカディア大学で地元・笠川の歴史を調べていく過程で、「今、自分がしなければ、将来復興されることはない。何とかサンヤレ踊りを地域の宝として残したい」との思いを強くし、有志を募ります。地域で踊りの歌詞や太鼓と鉦の譜面も見つかったことも希望になりました。
 平成27年5月、西村さんらは、7人でサンヤレ踊り保存会を結成。12月から住民説明会を4回開催して賛同者を募りながら集まった資料をもとに踊りを復元しました。子どもたちも太鼓や笛を担当し、多くの住民の力で現代によみがえりました。
一歩踏み出し、自ら歌うことで高まった機運と一体感
 西村さんは次のように語ります。「当時、今年の復活は難しいといわれましたが、今年できないのに、来年できるはずがないとあきらめませんでした。練習時、勇気を出して一歩踏み出し、自らが歌うと、返ってくる掛け声で何ともいえない一体感が生まれ、機運が高まった気がします。
 住民説明会では、林正英さんがフルートが吹けると名乗りでて笛を指導してくれました。笠川・市川原自治会は計約330世帯で、新しく転入して来られた人も増えています。多くの人材がいて、力を合わせたからこそ復活できました。踊りは住民同士の交流にもつながっています。ここには、鎌倉時代には人が住んでいたといわれています。地域にかつてこんな踊りがあったことが伝わればと思います。今後もサンヤレ踊りを継続し、まちづくりに生かすことで、『住んでよかった』と思える地域にできれば」。
人と資金の循環を考えながら地域を活性化
 4月1日、3年目となる今年も練習が重ねられていました。
 「昨年は笛担当でしたが、友達のお兄ちゃんがやっているのを見てかっこよくて、今年は太鼓に立候補しました」「笛は唇の形がポイント。高い音を出すのが難しいけど楽しい。昔の人はこんな踊りを考えてすごいと思う」と語る子どもたち。
 太鼓担当で、初回から親子で参加する西村晋治さんは「記録が残っていない振り付けは、他地域のサンヤレ踊りを参考にみんなで創り上げました。子どもたちが中心になれるし、地域の活性化につながっています」と話してくださいました。  「子ども会や栗東西中学校の吹奏楽部にも協力してもらい、参加者を募る」「衣装は大人用・子ども用の2種類で経費をかけない」「寄付を募り、認知度を高め、応援者を増やす」など、人と資金が循環する仕組みづくりを考えながら、地域の宝になろうとするサンヤレ踊り。今年も揃いの法被をまとい、奉納されます。
5月5日
五百井神社
例大祭のみこし
台風で土砂をかぶったみこしを掘り出し、修復。
地域の力を合わせて守り続ける伝統。
土砂の中から2週間後にみこしを掘り出す
 平成27年、台風の甚大な被害から2年ぶりに五百井神社の例大祭でみこしが復活しました。大きな力となったのは、下戸山地域の若い世代の皆さんです。
 平成25年9月15日から16日にかけて市を襲った台風18号。平安時代にはこの地にあったと記録が残る五百井神社も、本殿や拝殿など境内の建物がほぼ全壊する状況になりました。みこし蔵も土砂をかぶり、中にあった大人みこしと子どもみこしの2基も被災しました。
 この2基を守るため、約2週間後、氏子有志が2日間かけてみこしを掘り出しました。子どもみこしは簡単な修理で済み、翌年の例大祭で復活。大人みこしは、屋根がはがれるなど損傷が大きかったため、川ア俊介さんを先頭に地元の青年らが中心となり、復活に向けて取り組みました。
 何とかみこしを修復してほしいと、地元の大工に依頼。また、氏子だけでは担ぎ手が不足していたため、壮・青年会である「下戸山SS会」とも力を合わせ、担ぎ手を募りました。こうして担ぎ手として総勢約40人が集い、子どもみこしに続き、2年後に大人みこしが復活。今も希望すればだれもが担ぎ手となることができ、、地域に威勢のよい掛け声が響きます。
災害から救った地域の宝を次世代につなぐ
 「昔から例大祭の日は、特別な日。体を清め、身に着けるものも新しくし、気持ちが改まりました。地元から離れていても、参加するために戻って来るような、思い入れが多い祭礼です。だからこそ、『せっかく助かった地域の宝。次世代につないでいきたい』と、復活に力を合わせました。
 例えば、ひものくくり方を若い人たちに伝授したり、祭礼後に親ぼくを深めたりと、祭りは世代間交流にもつながっています。今後もこの地で伝えていくことができたら」と川アさんは話します。
苦労を共有することで生まれる一体感が楽しさに
 SS会の山元道男会長は次のように語ります。
 「川アさんの祭りへの思いは私たちと同じでした。青年団の名称をSS会と変更してからも祭りを大切にしてきました。この日だけはみんな地元に帰ってきて地域が一体になれる日です。かねてから担ぎ手の減少という課題を解消し、より地域全体の祭りにしたいと思っていました。
 みこしは約300sと重いですが、担ぐことで思いが一つになります。その重みを共有し、終わった後の『やったぞ!』という一体感は、やがて楽しさに変わります。肩の痛みも担いだ人だけが分かる勲章のようなもの。時代にあった方法で継続し、地元を輝かせることができたら」。
熱い思いで伝統を地域で守る
 「子どもみこしがあり、子どもと一緒に参加していましたが、川アさんから声をかけていただき、自らもみこしをかつぐようになりました。氏子であるなしの垣根を越えて、地域のつながりを深められる行事です」と語るのは、小谷共宏さん。
 自治会長の前山茂治さんは「五百井神社は、1000年を越える歴史をもつと伝わる由緒ある神社。今、下戸山自治会は600を超える世帯数になりましたが、昔から、新しく転入してきた人を誘いあって、例大祭に参加する班もあります。楽しく、また熱い思いを持ちながら、伝統を地域で守っていけるようにしたい」と話してくださいました。
 お旅所を仮本殿とし、安全や神社の復旧を願ってきた2年間。昨年8月から被災前と同じ場所に本殿を再建する工事が進み、伝統が守り続けられています。
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