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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 出庭中の集落内に中天満宮という神社があります。本殿前の左右には二基一対の灯籠があるのですが、これは、江戸時代に出庭中村出身で京都に店舗を構えた人物の寄進によるものです。灯籠に刻まれた文字からは、文久3年(1863)に建立されたことがわかるのですが、一方で、この灯籠の建立の経緯を記した古文書が残されています。それによれば、文字は公家の伏原三位(伏原宣諭)に依頼したもので、神意により、湖西北比良村の石工が加工を担ったようです。
 ここで注意されるのは、灯籠を製作したのが北比良村(現在の大津市北比良)の石工であることです。江戸時代、比良山麓の村々は、「木戸石」と呼ばれる花崗岩石材(御影石)の産地として知られており、これを加工する石工もいました。この灯籠も、木戸石により造られたものと思われます。さらに、北比良村には、比良天満宮という社があります。天満宮は菅原道真を祭る神社ですが、京都市の北野天満宮や福岡県の太宰府天満宮がよく知られています。北野天満宮の由緒を記した史料によれば、天暦4年(955)に比良宮の禰宜神良種の子である太郎丸に菅原道真の霊が憑き、京都の北野で神像を祭るように告げたといいます。そして、一夜のうちに数千本の松が生えたので、そこを北野天満宮の社地とし、同じく比良にも松が現れたので、比良天満宮を建立したと記されています。このようなことが神意にかない、北比良村の石工が選ばれたのでしょう。
 中天満宮は村の「鎮守之氏神」であることから、村内の者が納得したうえで、建立位置や、高さ、格好、模様などが相談されました。石灯籠は瘢]浜(現在の守山市杉江町)で陸揚げされて、運搬に際しては人々に酒や肴、飯が振舞われ、神社に到着すると、湯立神事や餅撒きが行われたようです。
 このように、個人の寄進であっても村人が灯籠の建立に参加したことがわかり、地域の人々の信仰を知ることができる興味深い史料といえます。

※栗東歴史民俗博物館では、3月16日(土)から、小地域展「出庭の歴史と文化」を開催します。
問合せ
出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514
《治田保育園》あいさつは心と心をつなぐ第一歩
 「○○ちゃん、おはよう!」園では、子どもの名前を呼んで、目を合わせて、あいさつをすることを大切にしています。名前を呼ばれて声をかけられると子ども達は笑顔で「おはよう」と返してくれます。保育室では、友だちが登園してくると「△△くん、おはよう!」のあいさつが響き渡ります。0歳〜2歳の子ども達も、お家の人の真似をして、頭をペコリと下げたり、「おはよ」と言ったりするようになりました。あいさつは心と心をつなぐ第一歩。これからも、子どもとそして保護者と気持ちの良いあいさつをとおして、心と心を通わせたいと思います。
問合せ
幼児課 TEL.551-0424 FAX.551-0149
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