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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 日本での電話の歴史は、明治23年(1890)に、東京と横浜で始まりました。このときはわずか197件の加入者しかありませんでしたが、その便利さが知れ渡ると、全国に普及していくようになります。あまりにも便利なため、「電話を通じて伝染病が感染する」といううわさが広まり、加入を敬遠する人がいたことも知られています。
 大正2年(1913)には、現在の栗東市域も含めた当時の栗太郡内で、全ての町村役場に電話が設置されました。金勝村と治田村には、同年の予算記録が残っており、電話費として、金勝村では20円、治田村では5円が挙げられています。また、同じく大正2年には、手原郵便局でも電話事務が開始されました。当時、電話の取り付けの費用負担は大きく、一般の家庭には普及しにくかったため、役場や郵便局の電話は多くの人々に利用されていたといいます。
 治田村に電話が設置されてから間もない大正5年(1916)1月15日、大字下鈎で行われた"左義長"で、ある事件が発生しました。それまでどおりの場所で左義長を行ったところ、13本の電話線を切断してしまったのです。大字下鈎では、39円99銭の復旧費を支払ったうえ、翌年からは場所を変更して左義長を行っています。古くからのくらしと文明の利器がまじわる中で、伝統行事に時代に応じた変化が加えられ、現在に受け継がれてきたことを伝える興味深い事例といえるでしょう。
 その後、電話はしだいに人々のくらしの必需品となっていきます。栗東では、昭和36年(1961)から38年(1963)にかけて、大宝、金勝、治田、葉山の順番で有線放送が開始され、昭和42年(1967)には栗東電報電話局(現在のNTT西日本栗東別館)の完成と同時にダイヤル通話がスタートしています。そして、かつては役場や郵便局の電話を利用していた人々の家庭にも、電話が普及していくことになったのです。
 登場から130年、各家庭への普及から半世紀が経った電話は、現在では個人が持つ生活必需品として日々進化し続けています。
問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755
《金勝第2保育園》「子育てわくわくたいむ」
 毎月の誕生会に保護者だけでなく地域の民生委員・児童委員さんをお招きして、一緒にお祝いをしていただいています。その後、保護者を交えお茶を飲みながら、子育てで心掛けていることを話し合っています。「よりよく生活するための12か条」の紹介をすると「玄関の靴を揃えるようにしています」という話題があり、民生委員・児童委員さんから「玄関は家の顔、きれいに整頓されていると気持ちが良いですね。履物を揃えることは気持ちを整理することにもつながり、物事も整理して考えられるようになるそうです」と教えていただきました。  
園でも、トイレのスリッパなどを揃えるよう子どもたちに言葉がけをしています。これからも「12か条」を参考に、楽しく子育てを語りたいと思います。
問合せ
幼児課 TEL.551-0424 FAX.551-0149
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