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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 今年はアジア・太平洋戦争の敗戦から75年目の年になります。
 写真はちょうど75年前の昭和20(1945)年7月28日、滋賀県警察部長から滋賀県民に対して出された文書です。冒頭「敵米英重慶三国は共同宣言を発表、我に降服(降伏)條項とも云うべき不逞極まる申出をした」と始まります。米英とは当時日本と戦争をしていたアメリカ・イギリス、そして重慶は同じく日本と戦っていた中華民国政府が置かれていた都市で、いずれも日本にとっての敵対陣営を指します。共同宣言とは、この文書が出される直前、7月26日にアメリカ・イギリス・中華民国が共同で日本に対して降伏を要求した宣言、ポツダム宣言を指しています。
 当時、日本は太平洋の制空権、制海権を奪われ、連日のように空爆を受けるなど敗戦を免れない戦況でしたが、宣言を報じる報道機関の反応は黙殺するべしという論調でした。滋賀県でもこの掲示の4日前に大津市にある繊維工場がアメリカ軍による空爆を受け死者16人、負傷者13人を出す被害があり、戦況の劣勢を直に感じるべき事態であったはずです。しかし、滋賀県警察部長の掲示の内容もまた降伏を呼びかける宣言には「敵が弱点を暴露した証左である」として県民に「不平不満なく戦勝一路に邁進せよ」と、宣言を受け入れることなく戦い続けることを県民に呼びかけています。戦争は続行され、栗東市域ではアメリカ軍の戦闘機による機銃掃射を受けるなど市民には厳しい生活が続きました。
  その後、日本は広島・長崎へのの原子爆弾投下やソビエト連邦の参戦により、8月14日にポツダム宣言を受諾しました。国民に対しては翌日8月15日に昭和天皇による「終戦の詔勅」のラジオ放送によって、この宣言を受けいれたことが伝えられました。
 栗東歴史民俗博物館が7月23日(祝)〜9月6日(日)まで開催する「平和のいしずえ 2020〜語り継ぐ戦争の記憶〜」では、75年前の敗戦の記憶や戦争の記憶を中心に、市民のみなさまからご提供いただいた資料を展示します。

※資料のカナ表記は文中で読みやすいようかな表記に変更しています。
問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755
《大宝幼稚園分園》「あいさつの花を咲かせよう」
 昨年の夏、園庭にたくさんのひまわりの花が咲きました。子どもたちは自分の身長よりも高いところに黄色の花を咲かせるひまわりを見上げて「おはよう」「花が咲いてきたね」と元気に声をかけていました。太陽に向かってぐんぐん伸び、大きな花を咲かせるひまわりは、子どもたちにとって共に生活をする仲の良い友達でした。
 今年の始業式に友達と一緒にひまわりの種を撒きました。「今日も大きくなっているかな」と生長を期待しながら「おはよう」と元気に登園する子ども達です。太陽の光を受けて育つひまわりのような笑顔いっぱいのあいさつの花を咲かせながら、友達や保育者と元気に園生活を送りたいです。
問合せ
幼児課 TEL.551-0424 FAX.551-0149
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