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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 栗東歴史民俗博物館では毎年一つの大字の歴史と文化を特集して紹介する小地域展を開催しています。令和2年度は、川辺地区を取り上げて小地域展「川辺の歴史と文化」を開催します。
 ところで川辺地区の読み方はご存じでしょうか。川辺は「かわづら」と読みます。特徴的な読み方ですが、古い記録を紐解くと、地区名の表記はさまざまな変遷があったことが分かります。
 まず、川辺が記録に登場する比較的古い文献としては『御法興院記』という記録があります。『御法興院記』は室町時代後期の公家、近衛政家が記した日記です。ここには栗東が政治の表舞台に登場する"鈎の陣"の頃の記録も記されています。鈎の陣とは室町時代後期、時の室町幕府将軍足利義尚が近江の鈎の地(現在の上鈎あたり)に陣を置き、近江で勢力を伸ばしていた六角氏を制しようとした出来事を言います。川辺の記録は鈎の陣に滞在する将軍義尚に近衛政家が拝謁しに京からやってきたところで登場します。長享2(1488)年9月20日、「河頬」に到着した政家はここから装束を改めて将軍の陣所へ参上したと記されています。
 また『御法興院記』から100年ほど時代が下った戦国時代の資料には一向宗門徒の住む村として「川つら」が登場します。このことから「河頬」はカワツラもしくはカワヅラと読むことが分かります。川辺は江戸時代には「川面」などと記されることもありますが、次第に「川辺」と書くことが定着していきました。
 「頬」「面」の文字に共通しているのは、顔の一部(頬)、あるいは全部(面)、つまり顔がなにかと対面すると見える部分を指すという点です。また「面」には「向かう」という意味があります。川辺は集落の西側に金勝川が流れていて川沿いに集落が営まれています。カワヅラの地名は川に向かって(面して)営まれた集落という意味があるのでしょう。このように地名の表記からその成り立ちをたどることができる地区はそう多くなく、そうした点からも、また読み方からも特徴ある地区といえるでしょう。

■小地域展「川辺の歴史と文化」
 会期…3月13日(土)〜5月9日(日)まで ※詳細はこちらをご覧ください。
問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755
《治田保育園》 異年齢交流「乗せてくれてありがとう!」
 4歳児が作った電車を走らせて遊んでいると2歳児の子どもたちが集まってきました。「乗っていいですよ〜」と声をかけられ嬉しそうに電車に乗り込むかわいらしいお客さん。
 「ありがとう!」とお客さんにお礼を言われた4歳児は嬉しそうでどこか誇らしげに見えました。
 保育園は0歳児から5歳児までの子どもたちが生活をしています。いろいろな年齢の子どもたちが関わる中で憧れの気持ちや思いやりの気持ちが育ってきます。また、頼りにしてもらった経験が自信にも繋がります。
 今後も遊びを通して人と関わり合いながら社会性や協調性、思いやる気持ちなどが育つ保育をしていきます。
問合せ
幼児課 TEL.551-0424 FAX.551-0149
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