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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 本市に存在する古墳は、甲冑や武器、馬具などが多量に出土した、名神高速道路建設の際に発掘された安養寺の新開古墳が全国的にもよく知られていますが、近年では、市役所のすぐ隣にある椿山古墳(100m級の前方後円墳)から、伝応神天皇陵古墳出土品に次ぐ大きさの笠形木製品 (木製はにわ)が出土し、旧栗太郡の首長と当時の大王との関連性が話題となりました。
 昨年の11月から調査を行っていた北尾遺跡では、これまで古墳の存在が知られていない場所から新たな古墳が見つかりました。調査が行われた場所は国際情報高校のグラウンドがある道を挟んだ北側の山に存在しました。もともと寺が存在していた可能性がある場所であったので、本格的な調査が入る前に試し掘を行い、遺構・遺物の有無を確認しました。調査の結果、寺に関連するものは見つからず、古墳時代の須恵器 (器台)がみつかり調査のきっかけとなりました。
 発見された古墳は、墳丘が方形につくられた方墳で、大きさ一辺18〜20m、高さ2.6mで、墳丘周囲につくられていた溝(長さ8m以上、幅5〜6m、深さ1.6m)が北側に一部残っていました。亡くなった人を葬る場所(主体部)は、墳丘のほぼ中央に存在し、その大きさは長さ6m、幅3.7mで、岩盤を掘り込んで作られていました。  
 中は横穴式の石室になっており、西に向かって入口が存在しました。大きさは全長5.2m、幅1.9mで、床面全体に礫が敷いてありましたが、天井の石、奥壁の石、側壁の石のほとんどが抜き取られていました。出土した遺物は、玉類 (なつめ玉、ガラス小玉)、耳環、鉄器(鉄釘、刀子、鉄鏃)、須恵器(大型器台、蓋杯、高坏、壺)がありました。
 玉で注目されるのは埋もれ木製のなつめ玉です。埋もれ木とは、長い間地中に埋もれていた木が炭化して石のように硬くなったものです。埋もれ木製の玉は、滋賀県では、野洲市の甲山古墳、大津市の曼荼羅山85号古墳、栗東市の和田1号墳の3か所の古墳でしか出土していないめずらしい玉です。古代中国や朝鮮の思想では、再生の意味合いがあるとされているものであることから、死者が再びこの世によみがえることを願いながら供えたものと思われます。古墳の時期は出土した遺物から6世紀後半から7世紀前半の古墳であることがわかりました。
 古墳の被葬者はどのような人物だったのでしょうか。
 古墳がつくられた山の北側は、高野遺跡、林遺跡、岩畑遺跡など古墳時代を代表するムラが集中する場所が広がり、葉山川や中ノ井川の上流にあたる水の支配権に大きくかかわる場所です。周囲には、古墳時代前期の三角縁神獣鏡を出土した岡山古墳(六地蔵)や、直径47mの規模をもつ佐世川古墳(小野)、後期では大きな横穴石室をもつ日向山古墳(六地蔵)が存在し、代々地域を代表する人物の墓がつくられてきた場所であることがわかっています。
 今回発見された北尾の古墳も、大きさや出土した遺物から推定すると当時この地域を治めていた豪族のひとりであったことが考えられます。
問合せ
出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514
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