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 このページは、さまざまな分野で活躍されている皆さんを紹介するコーナーです。

佐々木 昭人さん(荒張・95歳)


国策により組織された滋賀県開拓増産隊の一人として、20歳の時に長野から滋賀へ入植。昭和22年の浅柄野開拓農業協同組合設立に貢献。
開拓当初から集落の成り立ちを知る貴重な人物。
長老として、この地をあたたかく見守っている。

開墾75周年を記念し、昭人さん直筆の「感謝」の文字がプレートとなり、浅柄野公民館横の「みんなの森」に飾られる予定です。
開墾から75周年 浅柄野の地で生きる
  昭和22年、浅柄野に開拓の鍬が下ろされてから75年。浅柄野は栗東市の南部、鶏冠山の山麓にあり、現在は立派な農村地帯が広がっています。そこに至るまでには、戦後開拓に携わってきた先人たちのたゆまぬ努力がありました。
 ■開拓の様子を振り返って
 戦後の荒廃と混乱の中で、食糧増産と日本復興のための事業として開拓計画が持ち上がりました。昭和21年、大野神社の寮に、私を含めた八ヶ岳中央終練農場卒業生が集結し、開墾に着手しました。当時は機械もなく、木々の伐採や根堀りなど、毎日一振り一振り、朝から晩まで作業をしました。途中で諦めて辞めていった人もいました。逃げ出さずに開拓を続けてこられたのは、残った仲間と不撓不屈の精神で、団結して取り組んできたから。開拓の合間に、指導者や先輩たちに滋賀県内を遊びに連れて行ってもらったことが思い出です。
 ■浅柄野の礎を築いた先人たち
 現在の浅柄野はビニールハウスが立ち並ぶ野菜産地となり、栗東市で栽培される野菜の大部分を占めるまでに発展しました。これも荒野を拓き、種をまいてきた努力の積み重ねであり、人も作物もともに育ってきたことで、二世、三世へと農業が受け継がれ、今の浅柄野があるのだと感じています。
 ■これからの浅柄野への思い
 開拓の成功は名誉なことですが、浅柄野が一つの地域として存続していることが一番の喜びです。これまで地域の基盤を作ってきてくれた自治会の人たちへは感謝の気持ちしかありません。
 「祖述」という言葉のとおり、先人の考えを受け継ぎ、話し合いながら活動している若い人たち。その精神は、個々の経営や里づくりにも生かされています。これからも団結して浅柄野という地域を築いていってほしいです。
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