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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 麦の刈り入れどきの昼下がり、休息(小昼)をとる一家(写真上)。
 穏やかな農村の風景を描くこの作品は、大宝村綣(栗東市綣)の農家に生まれた日本画家・西田恵泉(1902〜1980)が、京都市立絵画専門学校の卒業制作として昭和4年(1929)に描いたもので、「麦秋」と題されています。のちに、恵泉の母校でもある大宝小学校に寄贈され、長年、その講堂に掲げられていたので、懐かしく思い出す人も多いかも知れません。
 京都市立絵画専門学校在学中の昭和3年(1928)に中央美術展、大礼記念京都大博覧会美術展で入選するなど、京都で順調に画業を積み重ねていた恵泉は、昭和10年(1935)に大宝村へと戻りました。この時期の恵泉は、自身の創作活動はもとより、蒲生郡桜川村綺田(東近江市綺田町)の洋画家 野口謙蔵(1901〜1944)とともに、滋賀県の画壇の形成に取り組んでいます。
 戦時中の昭和18年(1943)から翌年3月にかけて、恵泉は、従軍画家としてフィリピンに派遣されることとなりますが、その背景には、当初滋賀県から打診を受けた野口謙蔵が、病気を理由に辞退したという事情がありました。恵泉の帰国後、昭和19年(1944)7月に、野口謙蔵は亡くなっています。
 終戦後の恵泉は、自らが生まれ育った農村や、琵琶湖をとりまく近江の風景を画題とした創作活動を続けたほか、高等学校の美術講師として後進の育成にも取り組みます。また、晩年には美術の啓蒙、普及にも尽力し、昭和51年(1976)に設立された栗東町文化協会の初代会長に就くなど、栗東を中心とした地域文化の向上に貢献しました。
 恵泉の晩年を代表する作品に、「安養寺山からの眺望」(写真左)があります。昭和50年(1975)、金勝山での全国植樹祭に出席するために栗東を訪れた天皇・皇后への天覧画として、栗東のまちを中心に、遠くは琵琶湖や湖西の山並までを描いたこの大作は、ふるさとを愛し見つめ続けた画家・西田恵泉のまなざしを今に伝えてくれています。

■生誕120年記念 「西田恵泉|ふるさとを愛したまなざし|」
西田恵泉の生誕120年を記念し、その画業を紹介します。
会期 1月14日(土)から3月5日(日)

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問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755
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