トップページ(目次)へ
りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 栗東歴史民俗博物館では毎年市内の大字1か所を取り上げ、その歴史と文化を紹介する"小地域展"という展覧会を開催しています。今年度は3月18日(土)から大字手原を取り上げた小地域展「手原の歴史と文化」展を開催します。
 足元には奈良時代の遺跡も眠る手原ですが、少し時代を下って今回は江戸時代の手原村の様子を紹介しましょう。この頃の様子を知る手がかりとなる史料に天保13年(1842)に記された「手原村家作明細書」という史料があります。これによると江戸時代後期の手原村にはさまざまな商店が軒を並べていました。(表1)この頃には商品経済の発展によって、農村であった手原村でも農業のほかに商売をする家が現れるようになっていたのです。
 商店の創業時期も記されています。まずは電気がなかった時代の生活必需品である蝋燭を商う蝋燭屋の創業が享保年間(1716〜1735)と早いことが分かります。ここはよく繁盛していたのでしょう。間口6間半(約12m)と大きな店構えで、家族以外に女性1人を雇って商売をしています。同じ享保年間の創業で、三度飛脚の取次業があります。手原村には江戸時代の幹線道路、旧東海道が通過しており、書類や為替などをリレー方式で目的地に送る飛脚の取次を商売にする家が早くに現れたのももっともなことでしょう。
 手原村に商店が増えるようになるのは1800年前後のことです。寛政年間(1789〜1800)に創業した吉蔵が営む煮売屋や、文政年間(1818〜1829)に創業した平蔵が営む煮売屋兼餅屋といった食事を提供する店が見られるようになります。このころは寛政9年(1797)に刊行された旅行ガイドブックともいえる『東海道名所図会』が流行し、東海道を行き来する旅行者が多くなっていく時代にあたります。手原村でも時代の流れを敏感に感じ取り、街道を往来する人を対象にした商売をする家があったことが分かります。
 ほかに綿打屋、紺屋、太物屋といった木綿に関わる商売も見られます。栗東では江戸時代から綿花栽培や機織りが盛んに行われていたことが分かっています。綿花をほぐして糸を紡ぐための材料を作る綿打屋、紡いだ糸を藍で染める紺屋、機織りをして完成した木綿の反物を販売する太物屋が営業していたことは、この地域で綿花栽培から商品流通まで一通り行われていたことを示しています。ほかにも造り酒屋や醤油屋、米屋などの店もあり、江戸時代後期の手原村は東海道沿いの活気あふれる集落だったことがわかります。長い歴史のある手原の歴史と文化、紹介した資料も含めて古代から現代に至るさまざまな資料を小地域展「手原の歴史と文化」で紹介します。

■小地域展「手原の歴史と文化」
会期 3月18日(土)〜5月14日(日)
※詳細はこちらをご覧ください
問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755
トップページ(目次)へ
次のページへ