栗東歴史民俗博物館では、7月29日(土)より特集展示「平和のいしずえ2023」展を開催します。この展示は、本市の「心をつなぐふるさと栗東・平和都市宣言」にもとづき、戦争と平和をテーマに平成2年度より開催しているもので、栗東地域の人たちから提供された資料を用いて、戦争当時の地域のくらしを再現しています。今回はその中から、戦争を描いた映画やドラマなどでおなじみの「千人針」を紹介します。
千人針は、日中戦争から太平洋戦争の時代(昭和12〜20年、1937〜1945)に、出征兵士が携行した「おまもり」の一種です。基本の仕様は、布に赤い糸で結び目を千個、糸を切らずに縫い留めたもので、原則として千人の女性が一人につき一個の結び目を作ることとされていました。基本の仕様を押さえてあればデザインや仕立て方に決まりはなく、栗東歴史民俗博物館の収蔵資料(写真参照)もそれぞれ個性が感じられます。
千人針の起源にはいろいろな説がありますが、太平洋戦争より古い日露戦争(明治37〜38年、1904〜1905)のころ、神社の「おまもり」をまねて、けがよけのまじないを布に糸で縫い取りしたものが作られたり、千人の男性が「力」という文字を布に書いた「千人力」という「おまもり」が作られたりしていたことから、これらが混ざり合って千人針が生み出されたと考えられています。
日露戦争から太平洋戦争にかけての時代、軍国主義国家だった日本は、諸外国を相手に戦争や武力衝突をくりかえし、非常に多くの若者たちが兵士として戦場へ送られ、命を落としていました。千人針という新しい「おまもり」が生み出された背景に、それまでの時代とはけた違いの数の若者たちの「死」があったのは明らかです。
兵士やその家族たちの心のよりどころだった千人針ですが、皮肉なことに国家がすすめる戦争への国民総動員体制に組み込まれ、出征の作法として半ば義務化してしまいました。都会でなければ女性千人を募るのも楽なことではなく、婦人会でノルマを課され苦労したという体験談も、かつてはよく耳にしました。
■栗東歴史民俗博物館テーマ展「平和のいしずえ2023」
会期…7月29日(土)から9月3日(日)まで
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