特集記事でも紹介したように、令和3年は、本市の誕生(市制施行)から20年の節目の年にあたります。栗東とは、"栗太郡の東"に由来し、今から67年前の昭和29(1954)年10月1日に、"栗太郡の東"にあった治田・金勝・葉山・大宝の4つの村が合併して栗東町が誕生したことで、まちのあゆみがスタートしました。
また、栗東町の誕生に先立つ昭和23(1948)年には、治田・金勝・葉山・大宝の4つの村の組合立として、栗東中学校が開校していることも、特集記事で紹介したとおりです。
治田・金勝・葉山・大宝の4つの村での合併が行われた背景には、すでに組合立の栗東中学校の開校としても実を結んでいたように、経済的・地理的な結びつきが強かったことがあります。さらに、これらの4つの村では、より古い時代にも、協力して大きな事業を成し遂げたことがありました。それは、今から99年前の大正11(1922)年11月5日の手原駅の開業です。
現在のJR草津線は、明治22(1889)年に民間の鉄道会社である関西鉄道によって開業され、翌明治23(1890)年には全線が開通しました。当時は、草津・石部・三雲・深川(現在の甲南)・柘植の各駅しか設置されていませんでしたが、同時期に開業した官設鉄道の東海道線(現在のJR東海道線)とあわせて、人々の間に強い印象を残したことでしょう。
大正時代になると、既に国有化されていた草津線への新駅設置を求める機運が高まります。大正8(1919)年には、葉山村手原の人々が中心となって結成した手原駅創設期成会が、葉山村議会に新駅設置の企画を提出しました。葉山村議会ではこれを可決し、翌大正9(1920)年には、治田・金勝・葉山・大宝の4つの村の村長の連名により、神戸鉄道局へ新駅設置の請願を行っています。
神戸鉄道局より、用地の確保や建築費の寄付、新道路の敷設などの許可条件が示されると、手原駅創設期成会では精力的に、新駅設置に向けた環境整備を進めました。手原に生まれた郷土史家・里内勝治郎(1877年〜1956年)の郷土資料コレクションで、現在は栗東歴史民俗博物館が収蔵する『里内文庫資料』(滋賀県指定有形文化財)には、手原駅開設に関わる資料も多く含まれており、新たな駅の開設に向けた地元の人々の熱意を感じることができます。
その甲斐もあって、大正11(1922)年4月に着工した手原駅は、同年11月5日に開業し、盛大な祝賀会が開催されました。
そして、この一大事業が成し遂げられた背景には、のちに栗東町となる治田・金勝・葉山・大宝の4つの村の協力があったのです。
■栗東市市制施行20周年記念展「栗東のあゆみ」
会期…9月25日(土)〜11月28日(日)まで
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問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755 |
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