りっとう再発見

222金勝の神仏の風 栗東の歴史文化ストーリーⅡA

花崗岩が露頭する金勝山系
▲花崗岩が露頭する金勝山系
狛坂磨崖仏
▲狛坂磨崖仏

 幽玄な金勝地域の山間部は古代から山林修行の地となり、金勝寺(こんしょうじ)を中心に個性豊かな仏教文化が花開きます。

 湖南の山間部は花崗岩の巨石が露出し独特の風景を見せています。金勝山系の最高峰である竜王山山頂(605m)から、尾根伝いに西に歩くと、「茶沸観音(ちゃわかしかんのん)」「重岩(かさねいわ)」など巨石に刻まれた信仰の足跡を見ることができます。

 さらに稜線から桐生(きりゅう)(大津市)方面に少し下っていくと、うっそうとした山中に突如現れる狛坂磨崖仏(こまさかまがいぶつ)の威容は、山を歩く人々の目を引きます。高さ6.3m、最大幅4.5mの巨大な花崗岩(かこうがん)を平担に削り、如来(にょらい)と脇侍(わきじ)の三尊(さんそん)を浮き彫りにしています

 中央の如来は像高が約2.2m。大ぶりの目鼻立ちを刻み両肩を張った大らかな作風です。両足は交差して宣字座(せんじざ)((注)1)に座り、衣の端を垂らす状況が刻まれています。脇侍の菩薩像は、顔と腰を如来側にひねり、足先を180度に開いて蓮華座上に立っています。三尊像の上部にも9躯(く)の小像が刻まれています。

 これほどの巨像ですが、いつ、誰によって刻まれたのでしょうか。制作年代については、白鳳(はくほう)期((注)2)から平安時代まで諸説があります。

 白鳳期説は、狛坂寺跡周辺で川原寺式軒丸瓦(かわはらでらしきのきまるがわら)((注)3)が出土していることによります。奈良時代説は、三尊像が、統一新羅(とういつしらぎ)時代((注)4)の彫刻との関連が考えられることによります。さらに、平安時代説は、主に狛坂磨崖仏周辺に存在した狛坂寺の縁起によるものです。諸説の中でも、本像の様式から考えると白鳳期の終わりから奈良時代の作である可能性が高いと思われます。

 当時の湖南地域は寺や宮、役所などの造営のため、鉄や鋳造品などを大々的に生産していたことが分かっています。金勝山中にもさまざまな技術者が往来し、その信仰を形にしたのかもしれません。

(注)1:「宣」の字に似た方形の台座
(注)2: 白鳳 7世紀半ばから平城京遷までの文化を指す用語
(注)3: 川原寺式軒丸瓦 奈良の川原寺で葺かれた蓮華文の軒丸瓦で、各地の寺院にも広く採用された。
(注)4: 統一新羅 古代の朝鮮半島の国家のうち、新羅が三国を統一した時代(668~9世紀代)

栗東の関連文化財群

歴史文化の特徴 テーマ 関連文化財群(ストーリー)
原始・古代から現代まで
交通の結節点
テーマⅠ
材が織りなす繁栄
Ⅰ-A栗太の小国の誕生
Ⅰ-B躍動する古代豪族
Ⅰ-C古代近江の要
奥深い山から扇状地まで
変化に富んだ地形に展開する豊かな歴史文化
テーマⅡ
山の祈りと業(なりわい)
Ⅱ-A金勝の神仏の風
Ⅱ-B山の暮らしと神まつり
原始・古代から現代まで
交通の結節点
テーマⅢ
まじわり・にぎわい・結び
Ⅲ-Aさまざまな争乱
Ⅲ-B東海道と中山道
奥深い山から扇状地まで
変化に富んだ地形に展開する豊かな歴史文化
テーマⅣ
川と水が紡ぐ村々
Ⅳ-A水でつながる大宝神社圏
Ⅳ-B野洲川と耕地
Ⅳ-C金勝川と葉山川

歴史文化要素を、歴史的な性格や位置づけに応じて、周辺の環境を舞台に一体的・総合的にとらえたものを関連文化財群とします

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スポーツ・文化振興課

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