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平和のいしずえ 2002

7月27日(土)から9月1日(日)

太平洋戦争末期の昭和19年5月から、終戦をはさんで10月まで、治田村目川(現在の栗東市目川)にある専光寺には大阪市立逢坂国民学校初等科1〜3年までの子どもたちが集団疎開し、近くの治田国民学校(現在の治田小学校)に通学していました。当時は度々空襲警報が発令され、専光寺寮の近くもアメリカ軍の機銃掃射を受けるなど、勉強どころではありませんでした。また、低学年が中心の専光寺寮では疎開中、何度か子どもの脱走騒動も起こり、なかには疎開をあきらめて大阪へ引き上げていく子どももありました。
 終戦となった8月15日、専光寺寮では敗戦を知って憤りのあまり眠れない子どもたちに引率の訓導(教師)は「負けたとはいえない。戦を休むのだ」と説得したといいます。「小国民」と呼ばれ、大人たちから将来の戦力としての大きな期待を背負っていた当時の子どもたちは、皇国日本は絶対に勝つという大人の言葉を信じて、苦しい疎開生活に耐えていたのです。
 歴史民俗博物館で恒例となっている「平和のいしずえ」展。今年は、171日に及んだ専光寺寮の生活にスポットをあてています。



平和のいしずえ 2002 展示構成

T.近代兵制の成立
U.日清・日露戦争
V.アジア・太平洋戦争
W.栗東と学童集団疎開〜逢坂国民学校専光寺の記録〜


〜逢坂国民学校専光寺寮の記録〜より抜粋
できごと
5月 6 専光寺開寮、受入式
8 治田国民学校へ初登校、学校で受入式
10 初めての入浴(寮近くの民家へもらい風呂)
11 治田国民学校での時間割決定、学校で身長・体重測定
12 しらみ駆除のため洗髪
B29来襲し、治田国民学校の校舎のガラスが振動する
17 しらみ駆除のため洗髪
18 新たに1・2年生11名が加わる
19 「治田村だより」発行
20 食物を隠し持つ学童が多く、訓導から注意を受ける
21 トイレが使えるようになる
24 「治田村だより」発行
しらみ大量発生
25 しらみ対策のため洗濯(26日まで)
28 へちまの種を蒔く
29 食糧不足のため学童がさまざまな草を食べ、訓導から注意を受ける
6月 1 空襲を受けた大阪方面の煙を目撃する
灰塚山・下戸山・小槻大社を散策
3 養専寺寮の藤田訓導が帰阪し、1日の空襲で錦国民学校焼失の知らせが入る
このころ、梅雨になっても傘や下駄のない学童が多く通学に困難する
9 アメリカ軍機が来襲し、機銃弾が目川や目川農会前に落下、避難する
10 教室横や灰塚山下の河原(灰塚山菜園)に大豆の種を蒔く
16 おやつに豆だんごが出る
18 近所の家から蒸かしジャガイモをもらう
19 灰塚山菜園に白胡麻の種を蒔く
24 本堂とトイレに6Vの豆球がつく
26 未明から空襲警報、爆音が寮のガラスに響く
金勝川堤防でたけのこ取り
香川の寮から布団が送られる
27 5・6年生が疎開している浄教寺から教科書を譲り受ける
30 「治田村だより」発行
7月 3 二ヶ月ぶりに入浴
7 治田国民学校で音楽会を開催
9 治田国民学校で体重測定
10 5〜6月分の誕生会を開催
うさぎ5羽を入手、後に班毎に飼育するようになる
11 うさぎの飼育箱作成
うさぎ1羽死ぬ
13 学童1名無断帰宅、20日母親に連れられ帰寮するが、翌日疎開を中止、母親と大阪へ戻る
19 金勝川で水浴と洗濯
21 はじめて酢が配給され蕗、人参、ジャガイモを使った寿司が夕食に出る
治田国民学校で学徒結成式
23 うさぎ1羽死ぬ
このころ、寮で風呂を沸かすことが出来ない上、疎開学童のしらみを警戒して近所で風呂を貸してくれる家も少なくなる
30 F4U来襲、寮附近に機銃掃射
8月 8 灰塚池で水泳
夕食にカレーライスが出る
9 「治田村だより」発行、面会証明を同封して保護者へ送られる
10 1学期終業式
11 うさぎ2羽が蛇に襲われ死ぬ
13 写生画の指導
15 川遊び
竹篭作成、この後しばしば竹篭を作成する
昼食の際、ラジオで「君が代」が流れるのを聴き、後になって終戦であることがわかる
終戦を知った学童のうち憤慨してなかなか寝付けないものが出る
16 誕生会
17 8月1日に広島の祖父を訪ねるため寮を離れた学童が行方不明とわかる
18 疎開児童音楽会開催
19 広島へ行き行方不明になっていた学童が無事寮に戻る
21 2学期始業式
このころ蚤大量発生、学童らが睡眠不足となる
9月 3 砂糖入りのおはぎが夕食に出る
5 寮歌の練習
6 寮歌の練習
7 安養寺山登山
10 通知票渡し
11 寮内大掃除
治田国民学校で体重測定、疎開学童全員減少
12 映画鑑賞会
13 感謝状作成
19 1・2年生、手原駅方面へ散策
20 琵琶湖までハイキング
21 飼育箱からうさぎが逃亡、近所から苦情がでる
22 後期用の教科書配布
このころ、写生に熱中する学童が多くなる
23 戦死兵の法要に参列
26 新善光寺参詣、野洲川へハイキング
灰塚山菜園の胡麻収穫
30 本堂掃除
10月 2 治田国民学校より、職員増員のため、疎開学童の教室は料理室へ移転するよう求められ、使用していた教室を掃除、但しこの後は専光寺本堂で授業を行う
3 調味料が入手困難で醤油がなくなる
6 入手困難となっていた薪が全くなくなり、寮炊事場の材を薪代わりに焚く
9 治田村で行われる相撲祭に合わせ、特別におひつに入れたご飯をお代わり自由にして食べる
10 専光寺へ5月から9月分の疎開費を支払う
12 不足していた薪を入手する
13 松茸を入手、松茸ご飯が夕食に出る
14 治田国民学校横、灰塚山菜園で栽培していた大豆を収穫
疎開引き上げが23日となったことが知らされる
「治田村だより」発行
15 専光寺の報恩講のため、3日間就寝場所を本堂裏に移す、本堂よりも暖かいためその後も本堂裏で就寝する
16 治田国民学校の金勝村への遠足に参加する
23 疎開終了


逢坂国民学校専光寺寮へ疎開していた先生と子どもたち



疎開していた子どもが画いた専光寺寮


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