稲作には多量の水が必要であり、古来人々は、ため池を造るなど、水の確保に大変な苦労をしてきました。しかし田植えや稲の生育時期に雨が十分降らないことは度々あり、人々は神仏に雨乞いの祈願を行ったのです。
古代遺跡の発掘調査では、まれに河川跡などから焼き物の馬が出土します。これは古代中国から伝わった祭りの影響で雨乞いに使われたと考えられています。「日本書紀」には、皇極天皇元年(642)に「日照りが続き、牛馬を殺し神社の神にささげ、読経して仏に祈ったが効き目がなく、ついに天皇が川上で祈ると大雨になった」という記事があるように、馬をイケニエにする雨乞いが行われていたようです。
しかし雨乞いのたびに馬を殺しては大変なため、土馬で代用されるようになったようです。奈良時代には板に馬を描くものも現れ、それが現在の絵馬の始まりといわれています。
この土馬は下鈎東・蜂屋遺跡の河川跡から出土したので、やはり川(水)の神に降雨を祈ってささげられたのでしょう。県内で90点ほど発見されている土馬の中でも、極めて写実的で精巧に作られた優品であり、大変貴重な文化財といえます。
※この土馬は、栗東歴史民俗博物館で9月14日(土)〜10月27日(日)に開催する企画展「馬のまち栗東」に合わせて展示公開します。 |