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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 写真はガスコンロが普及していなかった時代に、魚をあぶったりするための調理器具である、焜炉(七輪)のポスターです。焜炉を手にした女性の横には商品コピーのように「銃後の護りは台所から」と記されていますが、いったいどういう意味なのでしょうか。
 このポスターはアジア・太平洋戦争期に作成されたもので、「銃後」は兵士が戦う前線に対して、非戦闘員である一般国民や非戦闘地域である国内を指しています。また、「台所」は家庭を守る主婦を象徴しています。総力戦となったこの戦争は、多くの人員と物資をつぎ込んで戦われ、兵士のみならず銃後に残った女性や子どもたちも、前線と同じ精神で戦うことが求められたのです。「銃後の護りは台所から」はそうした精神論で戦ったアジア・太平洋戦争を象徴するスローガンなのです。
 この戦争で女性たちに求められた役割は大きく、家庭の外では婦人会に組織され、戦地への慰問品送付や、出征兵士の見送りなどに動員されます。また戦争による食糧不足を補うため、女性たちは家庭のなか、まさに台所で知恵を絞って家族の胃袋を少しでも満足させるよう工夫しました。特に米は節米といって、麦や根菜、菜っ葉など、食べられるものを混ぜ込んで食べるなどの努力で消費量を押さえる運動が行われました。
 また、野草も食べる努力がなされました。野草食は滋賀県も挙げて推奨します。終戦間際に滋賀県衛生課が刊行した『野草ノ栄養価ト調理法』という啓発冊子では、野草飯、野草味噌汁、野草コーヒーなどのレシピが紹介されています。併せて野草を食べる際の注意として、毒草の見分け方や、野草特有の香りや苦味を抜くコツ、多量に取れた際の保存方法などが紹介されています。
 前線・銃後を挙げて戦ったアジア・太平洋戦争は昭和20年8月に終戦となりました。戦争による直接の困難は解消されましたが、戦地や中国大陸を中心とした植民地からの大量の引き揚げ者が国内に帰還したことで、食糧不足は終戦後ますます深刻になり、しばらくの間、台所は戦闘状態が続いたのでした。
「平和のいしずえ2014〜"銃後の護りは台所からの"時代〜」
 会期:7月26日(土)〜8月31日(日)
問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755

◆今後の掲載予定
りっとう再発見…8、9、11、12、1、3月号
すだじいの百年日記…10、2月号

《大宝幼稚園分園》「あいさつ・手つなぎ運動〜保護者とともに〜」
 毎月1回、登園時に保護者会が中心となって、通園路に立ち、「交通ルールを守り親子で手をつないで歩こう」と「元気にあいさつをしよう」を合言葉に『あいさつ・手つなぎ運動』を行っています。
 「つたえよう!『ありがとう』のことば 感謝の気持ち・つながろう!心と絆」というスローガンのもと、3歳児は「元気にあいさつ」4歳児は「ありがとうの花を咲かせよう」5歳児は「今日のありがとう」をテーマに、取り組みを進めています。今後も保護者の皆さんとともに「ありがとう」の言葉と感謝の気持ちが伝えられる子どもたちの育ちを見守っていきます。
問合せ
幼児課 TEL.551-0424 FAX.551-0149
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