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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 11月1日から7日の一週間は「第61回 文化財保護強調週間」にあたり、昭和29年の設定から61年目を迎えます。この期間、本市でも歴史民俗博物館などで企画展が開催されますが、文化財を見直すという視点で一例を紹介しましょう。
 本市の東側、標高222メートルの日向山の山上には、多喜山城という古城跡が知られています。東西120メートルほどの小規模な城跡ですが、図にあるように、その構造は複雑で、西と東に虎口と呼ぶ出入り口があります。
 虎口は、城の防御の工夫をしのぶことができるだけでなく、城の年代を決定する材料となります。最初は単純な平入り虎口から始まり、多喜山城のように屈曲する城道を経て、彦根城や大阪城に見る枡形虎口などに発展しました。
 その形から、多喜山城の虎口は、織田信長と近江の守護大名であった六角氏が戦った元亀年間(1570〜1573)に築かれたと考えられます。しかし、城跡をよく見ると、虎口以外にも建物が乗る「櫓台」があります。その内部は、一段低く掘り窪められており、ただの櫓台ではなく、「穴蔵」と呼ばれる地下を持つ建物があったことを示しています。
 「穴蔵」は、天正7年(1579)に築城された安土城の天主台に見られますが、元亀年間には存在せず、豊臣秀吉や徳川家康の日本を統一した政権を支えた大名居城の天主(天守)閣で普及しましたが、多喜山城のような小規模な山城ではあまり見かけられません。多喜山城に天守があったか否か、記録がないので分らないのですが、小規模な城での「穴蔵」は、統一政権の城郭の中では珍しい存在なのは事実です。
 統一政権は、天正12年(1584)以降に東海道の支配を強め、街道沿いに直轄領地を設置していきますが、多喜山城が街道支配のシンボルとして重視されたのは間違いないようです。
 このように、文化財を見つめ直すという行為は、私たちの住む地域に新たな価値を掘り起こすことにつながるのです。
問合せ
栗東市出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514

◆今後の掲載予定
りっとう再発見…12、1、3月号
すだじいの百年日記…2月号

《治田幼稚園》「子育てのための12か条から」
 園では、保護者の皆さんと一緒に「子育てのための12か条」に取り組んでいます。懇談会を開催したり、地域の民生児童委員さんと、家庭や地域で子育てを協力して進めて行くことの大切さを話し合ったりしています。
 保護者研修会では、今、子育てで大切にしたいこととして「子どもの声に耳を傾ける」「ありがとうの言葉を大切にする」「物の受け渡しは言葉をそえる」「笑顔で接する」など、日常の姿を振り返り、5年・10年先のことを見据えて子どもに接していくことの大切さに気づいていただく機会となりました。「ありがとうの言葉は、うれしくて心が温かくなるね。」とポスターを見て話す子どもたちと一緒に、笑顔とありがとうがいっぱいの園づくりを進めています。
問合せ
幼児課 TEL.551-0424 FAX.551-0149
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