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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 昨年7月から発掘調査を行っていた手原遺跡で平安時代の特殊な埋納遺構が発見されました。
 発見された遺構は、奈良時代末期から平安時代(8世紀末〜12世紀)にかけての掘立柱建物が25棟、井戸2基、地鎮祭祀痕などです。
 平安時代前期(9〜10世紀)の掘立柱建物はいずれも大型で、役所またはこの地を治めた豪族の屋敷に関係するものと考えられます。
 最も注目された地鎮祭祀痕は、4か所(2時期2か所)あり、いずれもL字形に配置された大型の掘立柱建物群の中央広場から発見されました。
 祭祀痕の中からは、古代銭で知られる和同開珎・神功開宝・富寿神宝を埋納したものが2か所ありますが、2時期にわたって地鎮祭祀が継続されたのは、この地が古代人とって極めて重要視されていたことを物語ります。
 ところで四つある地鎮祭祀痕の一つには、写真に見るように、穴の四隅に杯(皿)を裏向けにして置き、さらにその隙間に富寿神宝を5枚入れて、杯で蓋をした小さな甕を、東西南北を意識した十字方向に五つ配置したもの、つまり穴の中央と八方向に器を埋納されたものが確認されました。
 地鎮祭祀痕は全国でも多数確認されていますが、その中に埋納される土器は中央に一つだけ置かれるが例が多く、8方向に器を配置した例は全国的にも類例がありません。それではなぜ、このような特殊な器の配置が行われたのでしょうか。
 考えられる理由としては、埋納を行う時のおまじないに、平安時代に流行してきた密教や道教の方法が用いられた可能性があげられます。密教の地鎮は、穴の中心と八方を合わせた九つの点で邪気を払うため、それぞれの器を仏に見立て配置します。その一方、「富寿」の字が書かれた銭を埋めているため、地鎮だけでなく、不老長寿や一族の繁栄を祈る道教の意識が見られ、二つの方法がミックスしていたのかも知れません。
 謎は残っていますが、古代人の祭祀(地鎮)に対する信仰や思想を解明するうえで、重要な発見となりました。
問合せ
栗東市出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514
《治田西小学校》「『ありがとう』が言える子育ての取り組み」
 本校では、学習の成果を発表する学習参観などの行事の中で、感謝の心をしっかりと伝えることを大切にしています。
 2月26日の参観日には、1年生「できるようになったよ発表会」、4年生「1/2成人式」、6年生「卒業宣言〜家族への感謝の手紙」の学習の中で、自分たちの成長を披露するとともに、今まで守り育ててくださった家族や地域の皆さんに、心の込もった言葉で感謝の気持ちを伝える場を設けました。
 「ありがとう」を言葉に出してきちんと相手に伝えることを今後も大切にしていきたいと考えています。
問合せ
学校教育課 TEL.551-0130 FAX.551-0149
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