多くの人びとが東海道や中山道を行き交い、全国各地の文化に触れる機会に恵まれた江戸時代の栗東をはじめとする栗太郡の村むらでは、地方の文化や学問をリードする文化人が多く生まれました。彼らの影響もあり、江戸時代、実学的な学問が好まれるようになっていきます。
栗太郡の村むらでの学問の浸透を物語るのが、平成25年(2013)に廃寺となった善勝寺(御園)に伝わった2面の算額です。算額とは、江戸時代中期以降に日本で独自に発達した数学(和算)の問題やその解法を木板に記し、額装して神社や寺院などに掲げたものです。問題が解けたことを神仏に感謝し、ますます勉学に励むことを祈念して奉納されたものと言われ、全国で950面ほどの算額が残されています。
近江国(滋賀県)では、貞享元年(1684)から明治36年(1903)までに合計33面の算額が奉納されたことがわかっていますが、現在では明和4年(1767)から明治36年までの10面のみが残されています。そのうち善勝寺には、明和4年と文政2年(1819)に奉納された、滋賀県内では最古と2番目に古い算額が伝わっていました。
これらの算額を奉納したのは、善勝寺の近くに住み膳所藩の郷代官を務めた豪農で、文政2年の奉納者は明和4年の奉納者のひ孫にあたります。永年、善勝寺の本堂に掲げられていた算額の墨書は、風雨によりほぼ消えかけています。しかし、奉納者は地方に生まれたため和算の師や書籍に恵まれなかったこと、独学で和算を学び、算額の奉納に至ったことが記され、政治的な面で村をリードした豪農が、学問の面でも先覚者となっていたことを今に伝えています。
平成25年の善勝寺の廃寺後、阿弥陀寺(東坂)の所有となった2面の算額は、平成29年(2017)11月17日に、滋賀県指定有形文化財として指定されました。博物館では、平成30年度に、これらの算額を紹介する機会を設ける予定です。
※善勝寺に伝来した文化財は、一部は栗東市外の寺院に移されましたが、多くの文化財が阿弥陀寺の所有となり、博物館に寄託されています。 |