神仏への願いを込めて、あるいは願いがかなったお礼として、社寺に奉納する額や板絵のことを絵馬といいます。絵馬の起源としては、もともとは神社に神馬として馬をささげることが行われていたものが、馬を描いた絵を代用して奉納するようになったとする説が知られています。絵馬に込める願いは人によってさまざまですが、例えば「病気平癒」や「安産祈願」、「学業成就」や「商売繁盛」といった願いが一般的なのではないでしょうか。皆さんも、これらの願いを込めた絵馬を、社寺に奉納したことがあるかもしれません。
平成25年(2013年)に廃寺となった善勝寺(御園)には、幕末から明治時代にかけて、地元の人びとが奉納した絵馬が、数多く残されてきました。例えば、弘化2年(1845年)には、48歳の男性が、自らのまげをくくりつけた絵馬を奉納しています。この絵馬には、奉納した理由まで記されていないので、どのような願いを込めたものかは明らかではありません。しかし、まげをくくり付けた絵馬には、安政6年(1859年)、39歳の男性が「禁酒」を誓って、円満寺(近江八幡市)に奉納したものも残されており、幕末期の庶民の信仰を考える貴重な資料となっています。
また、明治時代に善勝寺に奉納された絵馬の中には、長い髪をリボンで束ね、振そでにはかまを着け、靴をはいて洋傘を持つ女学生のすがたを描いたものがあります。明治維新以降、政府によって進められた、教育の近代化と生活の洋風化が、地方にまで及んでいたことを物語る資料といえるでしょう。
栗東歴史民俗博物館では、善勝寺のほかにも、井口天神社(辻)や地蔵堂(綣)など、 栗東市内の社寺に伝えられてきた絵馬を収蔵しています。9月14日(土)から開催する特集展示「えがかれた いのり|絵馬・額|」では、円満寺から寄託を受ける絵馬も含めて展示し、地域に生きた人びとが絵馬に込めた、さまざまな いのり について考えます。
※善勝寺に伝来した文化財は、一部は栗東市外の寺に移されましたが、多くの文化財が阿弥陀寺(東坂)の所有となり、栗東歴史民俗博物館に寄託されています。 |