戦国時代の近江国(滋賀県)では、多くの武将たちが活躍しました。その中に、宮城豊盛(1554〜1620)という戦国武将がいたことをご存じでしょうか?
豊臣秀吉や徳川家康に仕えた宮城豊盛は、豊臣秀吉から、東坂村(現在の栗東市東坂)や手原村(現在の栗東市手原)、また、大橋村(現在の栗東市大橋)などに5000石の所領を与えられ、大橋村に屋敷を構えたと伝えられています。
慶長3年(1598)に豊臣秀吉が亡くなると、徳川家康の指示によって朝鮮に派遣され、朝鮮に出兵していた武将たちの帰国に尽力しました。
また、慶長10年(1605)には、豊臣秀頼のもとで京・金戒光明寺(現在の京都市左京区黒谷町)の阿弥陀堂再建の普請奉行を務めました。
激動の時期において、石田三成の挙兵を徳川家康に報告し、慶長19〜20年(1614〜15)の大坂冬の陣・夏の陣にも参加するなど、歴史上の重要な場面を生き抜いた武将でもあります。
晩年は、慈照寺(銀閣寺)の再建や、知恩院の山門および経蔵の建立などの普請奉行を務め、京に滞在していました。
そして、元和6年(1620)に京で亡くなっています。
宮城豊盛の墓は、栗東市東坂の阿弥陀寺にあります。
天正9年(1581)、阿弥陀寺は、火災に遭い、堂舎が焼失しましたが、当時、同所領を治めていた宮城豊盛が尽力し、再建したと伝えられています。
このような関係から、阿弥陀寺で宮城豊盛の墓が営まれたものと考えられます。
栗東歴史民俗博物館では、2月29日(土)に、栗東市ボランティア観光ガイド協会との共催で、宮城豊盛に関する歴史講座を開催します。
詳しくは、来月号の「お知らせ版」に掲載予定です。栗東市にゆかりのある戦国武将・宮城豊盛について、お知りいただく良い機会ですので、多くの皆さんのご来場をお待ちしています。 |
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問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755 |
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《葉山幼児園》「考えて行動できる子どもに」
先日、園内作品展を開催しました。子どもたちが廃材などの色々な教材を使い、無心で作った作品は、どれも個性にあふれ、素敵なものでした。
夢中で一つのことに向かっていく無邪気な子どもたちですが、園生活の中では「これでいいかな?」と振り返り、考えて行動することが必要な場面もたくさんあります。例えば、おもちゃの取り合いになった時「大きな声で相手を驚かせて、自分の物にしてもいいの?」「どうすれば、使いたい気持ちを相手に伝えることができるかな?」など、子どもと考えます。また、手を洗う場面では、「手を水でぬらすだけでいい?」「何のためにするのかな?」と、問いかけることもあります。普段、繰り返し何気なく行っている生活習慣に「なぜ?」と考える機会を子どもたちから奪っていないか、保育者自身が振り返り保育をするように、心がけています。
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問合せ
幼児課 TEL.551-0424 FAX.551-0149 |
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