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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 現代の栗東市は「馬のまち栗東」として他市よりもウマとの関わりが強いまちで有名です。では、古代の栗東とウマは関わりがあったのでしょうか。
 ウマは、古来より人間の乗り物、または動力としてさまざまな活躍が見られます。日本でウマが飼育され始めたのは古墳時代中期頃(5世紀頃)と考えられています。ウマの伝来に前後して、ウマに着ける装身具が古墳に副葬品として納められるようになります。
 本市でも、現在の安養寺にある新開1号墳から馬具と甲冑が一揃え、古墳の副葬品として出土しています。【写真1】
 出土品から古墳時代中期頃の築造と考えられますから、日本にウマが入ってきたのと同時期に本市にもウマの文化が入ってきています。
 さらに時代が進んで奈良時代(8世紀頃)には、ウマは祭祀の「いけにえ」として捧げられることもありました。
 しかし、ウマは田や畑の開墾や移動に使う貴重な家畜でしたから、ウマの代わりとして別のものが祭祀で用いられました。それが土で出来たウマ、「土馬」です。市内でも土馬が出土し、特に珍しいものとして草津線手原駅から程近い下鈎・蜂屋遺跡で見つかったものがあります。【写真2】
 土馬は祭祀の際に壊して使う道具と考えられていますので、素焼きで、やや粗雑なつくりのものが多いですが、写真の土馬は、手綱やたてがみ、人が乗る馬具まで細かく表現され、陶器用の窯でしっかりと焼き上げられています。壊れるものに、なぜここまでの造形を施したのかは不明ですが、もしかするとウマを愛する土器製作者が、思いを込めた土馬なのかもしれません。
 栗東とその周辺は、古くから東海道、東山道などの主要街道が通る交通の要衝でした。そこで多くのウマや人が行き交い、文化が交流されたことでしょう。地中からウマを表現したものが表れるたび、昔の栗東の人々のウマに対する思いや、「馬のまち」を強く感じさせられます。
問合せ
出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514
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