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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 江戸時代の頃、現在の栗東市辻に当たる地域に集住していた「辻の鋳物師」は鍋・釜などの鋳造を主に生業とする職人達でした。江戸時代中期の百科事典「和漢三才図会」にも「鍋釜の冶工は、河州我孫子村より始まる、江州の辻村これに次ぐ」と記されるほど有名で、当時の日本を代表する鋳物師でした。
 近年の発掘調査成果によって、辻の鋳造関連の歴史は江戸時代以前にもみられることがわかってきました。
平成30年に行われた滋賀県文化財保護協会の調査で見つかった、古墳時代前期から中期頃(約1700〜1600年前)の竪穴建物から、ガラス小玉用の鋳型が見つかりました。県内初のガラス小玉用鋳型の発見によって、辻遺跡では、不用になったガラスを鋳造し、ガラス小玉としてリサイクルしていたことがわかりました。
 また、古代の辻は、鋳造の他に鍛造が盛んであったこともわかっています。同じく平成30年の県の調査では、建物の中から鉄を溶かした際に出て来る鉱石の溶け滓鉄滓、ふいごの羽口、砥石、叩いて鉄を伸ばす作業である鍛造の最中に飛び散った細かい鉄の破片が出土しました。
 令和3年に栗東市スポーツ協会が行った辻遺跡の調査では、古墳時代後期(約1500年前)に、近接した場所で何度も建て直されたとみられる竪穴建物が7棟見つかり、その中から同じく鉄滓、砥石が出土しています。(写真)
古墳時代の集落でこのように鍛冶の際に生じる鉄滓や鍛冶関連の遺物が出て来ることは稀です。鉄は貴重かつリサイクル出来る材料ですので、壊れてしまった鉄道具は再度溶かして別の道具に再利用します。
 しかし、そのためには、炉と、炉内を高温にできる設備を用意すること、鍛造に関する知識や技術も必要となり、かなりの手間と技術を必要とします。
 そのため、古代も今と同じく、専門家でしか上手に金属を扱うことができませんでしたが、辻遺跡では高い頻度でこれらの遺構や遺物が見つかることから、辻には鍛冶をするための技術を持った集団が住んでいたのではないか、と考えられます。
 辻遺跡周辺では、古代から江戸時代にかけて連綿と金属加工に関わる集団が活躍していた、というのは非常に興味深い内容です。鋳造や鍛造には技術のほかに、多くの燃料や、綺麗な水が必要ですから、野洲川流域である辻は、綺麗な水や上流からの木材の供給が受けやすい便利な土地であったようです。
 現在、栗東市辻では鍛冶は行われていませんが、辻の鋳物師達は全国に出店を持ち、そこで製品を作り、定住した人も多かったそうです。彼らが残した技術や、作製した名品の数々は、今も全国に残っています。
問合せ
出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514
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