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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
  小柿遺跡は、縄文時代後期の集落や、弥生時代後期から古墳時代を中心とする集落と古墳などが主に確認されている遺跡として知られています。今回は治田西コミニュティーセンターの南側で行われていた小柿遺跡の発掘調査の整理が完了したので、その成果について紹介します。
 令和3年度の調査で古墳8基が見つかった調査の隣接地で、引き続き調査が行われ、古墳時代から飛鳥時代の河川、溝、平安時代の掘立柱建物、近世以降の井戸などが確認されました。古墳時代(3〜4世紀)の河川跡は、長さ約58メートルに渡って検出されました。大きさ幅約4〜7メートル、深さ1メートル前後を測ります。河川の中からは、大量の土器や、建築部材、農具などの木製品が出土しました。建築部材は、柱やはしごのほかに方形板材の裏に穴をあけたものや、中央を円形に大きくくりぬいた板が見つかっています。用途は今のところ不明ですが、板の大きさや製作方法に共通点があることから、それぞれの板を組み合わせて製品にしていた可能性が考えられます。比較的大型のパーツであることから、大型の建物に伴う建築部材の可能性も考えられます。
 一方、河川の上に掘られた溝からは、古墳時代の埴輪(6世紀)がまとまって出土しました。一緒に出土した土器の年代が飛鳥時代(7世紀)のものであったことから、周囲に存在していた古墳に並べられていた埴輪が飛鳥時代の土地開発の際に古墳が壊され、河川の上層にあたる溝にごみとして廃棄されたと思われます。本市で見つかっている埴輪は、これまで長年多数の発掘調査を行ってきたわりには出土数が少なく、建築部材同様、貴重なものと言えます。
 埴輪を並べていた古墳の被葬者や、大型の建物に居住していた人物像など、今後の研究で少しでも明らかにすることが課題となります。
問合せ
出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514
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