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特集 栗東の農業を支える人たち
この地で、農業を
栗東には、夢、やりがい、そして誇りを持ち、熱い思いで農業に取り組む人たちがいます。
猪飼農園
ネギ農家
猪飼 正道さん(荒張)
 猪飼農園の3代目。3年前に規模を拡大し、市内外あわせてビニールハウス50棟、1.4ヘクタールもの広大な土地で青ネギを周年栽培。
○生まれ育った土地で
 浅柄野の自然豊かな農村地帯に、猪飼農園があります。祖父の代に仲間とともに入植後、農地を開墾し、この地で猪飼農園を始めました。代表の猪飼正道さん(写真右)は、青ネギの周年栽培を手掛ける猪飼農園の3代目。 農業高校を卒業し、園芸専門学校で農業の知識を深めた正道さんは、一度は会社員として就職したものの、幼い頃から見てきた祖父や父の背中を追い、11年前に自然と父から農園を受け継ぎました。 農業の大先輩で、良き理解者でもある父の一郎さん(写真左)は、「息子はやりたいことをやっていくだけです」と温かく見守ります。 一郎さんは、小松菜やほうれん草など他の野菜も作っていましたが、正道さんは、青ネギの一本化を決め、猪飼ネギのブランドを確立させました。
○ネギで勝負しよう
 「安心して食べられる綺麗なネギをたくさんの人に食べてもらいたい」。思い切って青ネギ一本化に決めたのは、ネギの栽培が、自分に一番合っていたから。「ネギが一番うまく作れたんです。限られた人手でも栽培でき、1年をとおして、食卓に届けられると思いました」
 猪飼さんのネギ作りは、土づくりからこだわっています。農場の近くにある栗東トレーニング・センターの馬糞などをたい肥にし、土に加えるなど、工夫して栽培されています。「季節によって管理方法も、肥料の配合も違います。夏場のハウス内は危険な暑さになりますが、手間は惜しみません」と語る猪飼さん。
 太陽熱を利用した土壌消毒を取り入れるなど農薬に頼らない栽培をされています。追肥や空気調整を適切なタイミングで行うことが大事で、きめ細やかな管理が減農薬につながっていくのだそう。自然の力を最大限に生かして、ネギ栽培に真摯に向き合っています。
 「ネギはどんな料理にも合うオールマイティーな野菜。自分好みの食べ方で、ネギ本来の味を感じてもらえたら」
 猪飼さんのネギは、滋賀有機ネットワークとして出荷され、県内の生協やスーパーで販売されています。
 「一生懸命作っても、ハウス一棟すべて廃棄する時もあります。それでも作り続けるのは、この仕事が好きだから。『ネギといえば、猪飼ネギ』と言ってもらえるように、今後もネギとともに、地域に愛される存在になりたい」と語る表情には、栗東の明るい農業の未来を感じさせる力強さがありました。

まりゆ農園
果樹農家
村田 かずみさん(下戸山)
 昨年から下戸山で「まりゆ農園」を経営。ビニールハウス栽培の栗東いちじくのほか、イチゴ、ブドウ、ベビーキウイなどの果樹も栽培。
○栗東いちじくをたくさんの仲間と育てたい
 「自然の中で暮らしたい」と農業体験に参加したことがきっかけで就農し、7年前に「まりゆ農園」を設立。もともとは野菜が中心でしたが、市で栗東いちじくの生産者を募集していることを知り、チャレンジ農業塾を経て、昨年より下戸山地先で栗東いちじくの栽培を始めました。
 「果樹栽培は子育てのようなもの。大変ですが、手間ひまかけた分だけ味に反映されます。わが子のような果実が育っていく過程を見届けるのが楽しい」と果樹への思いを語る村田さん。
 試行錯誤を重ねながら、肥料づくりはもちろん、すべての工程をひとりでこなします。
 「出荷の際には自信をもって販売できるように、毎回味を確認しています。安全・安心にこだわり、作るからにはおいしいものを届けたい」と日々おいしさを追求しながら栽培されています。
 同じように果樹農家を志す女性就業者の仲間ができ、交流も生まれています。「栗東いちじくを地域ブランドとして広め、栗東に果樹を買いに来てもらいたいです。女性や若い世代の仲間がもっと増えたらうれしい」と栗東農業への思いを語られました。
第二の人生を農業で生きる
定年後は農業をしてみたいと、自身のライフプランに農業を選択した人たち。
毎日太陽の下で汗を流し、生き生きと農作物を育てている地域の人たちによって、栗東の農業は支えられています。
地域の担い手として
米農家
松村 勉さん(出庭)
 定年後に就農して14年。最初は栗東いちじくから始めました。地域の人から田畑の管理を任され、米や麦、大豆、野菜、果樹などさまざまな農作物をコツコツと作っているうちに、いつのまにか地域のリーダー的存在になっていました。
 自分が栽培した滋賀県環境こだわり認証を受けた特別栽培米コシヒカリが学校給食に使用され、子どもたちに「おいしい」と言ってもらえることが嬉しく、元気の源となっています。
子どもたちに安全・安心な野菜を
栗東市農業振興会 会長
清水 隆雄さん(下鈎)
 7年前の定年退職を機に、もともと環境問題や健康に関心があったこともあり、農業を始めました。「将来を担う子どもたちに、安全・安心な地元野菜を提供したい」と農薬の使用を出来るだけ抑え、学校給食に野菜を提供しています。
 本市でも農地の減少、農業就業者の高齢化が進んでいます。地元野菜が作りやすい環境づくりを推進し、地域農業に貢献していきたいです。これからも、子どもたちのために、食と農を未来につなげていきたいです。

栗東市農業振興基本計画を策定しました
令和4年3月に本市は農業振興に総合的、計画的に取り組むための指針となる「栗東市農業振興基本計画」を新たに策定しました。
 本計画に基づく各種取組みを推進し、将来にわたる持続可能な地域農業の確立とその健全な発展を通じて、本市農業の目指す将来像「みんなでとりくみ未来へつなぐ、安心で元気な暮らしを育む栗東の農業」の実現に取り組みます。
びわ湖放送栗東市広報番組
「うますぎる栗東」
〜栗東の特産品!栗東いちじく〜

放送日時 9月3日(土) 18時10分〜18時15分
9月下旬よりYoutube「りっとうチャンネル」で視聴できます!
問合せ
農林課 農政係 TEL.551-0124 FAX.551-0148

 JR草津線の手原駅(手原)は、本市の玄関口になっています。手原駅が開業したのは、大正11年(1922)11月5日。今年で開業100周年を迎えます。
○栗東に花開いた街道文化
 日本で鉄道が走り始めたのは、今から150年前の明治5年(1872)。その後、鉄道網は広がり続け、人々の生活に欠かすことができない乗り物となっていきました。
 それ以前、江戸時代までは、歩くことが主な交通手段でした。江戸と各地を結ぶ"五街道Wをはじめ、全国に広がる道を多くの旅人が行き来したのです。江戸時代の近江(滋賀県)は、東海道と中山道の2つの街道が通り、豊かな街道文化が花開いたことで知られています。
○鉄道のインパクト
 日本で鉄道が走り始めてから十数年が経った明治22年(1889)、栗東の人々も、ついに鉄道を目の当たりにすることとなります。官設鉄道の東海道線(現在のJR東海道線)と、民間の鉄道会社である関西鉄道(現在のJR草津線)の開業です。この内、関西鉄道は、明治22年(1889)12月に草津・三雲間で開通し、翌明治23年(1890)に柘植までの全線が開通しています。
 栗東歴史民俗博物館では、もともとの図面に鉄道の線路部分が貼り付けられた明治20年代の地籍図を収蔵しています。(写真・左1)鉄道の開業が、地域の景観に変化をもたらしたことに加えて、初めて鉄道に接した当時の人々の驚きを伝えてくれるようです。
 現在では11の駅があるJR草津線ですが、当初は、草津・石部・三雲・深川(現在の甲南)・柘植の5駅しか設置されていませんでした。このため、栗東の人々が鉄道を利用するためには、草津駅か石部駅から乗車する必要がありました。明治45年(1912)には東海道線の守山駅が開業しましたが、栗東には駅がない状態が続いていたのです。
 ただし、関西鉄道が全線開通した明治23年(1890)の3月には、草津駅と石部駅の中間にある新善光寺(林)の縁日にあわせて臨時の停車場が設けられ、多くの参詣人でにぎわうなど、栗東の人々にも、鉄道の力を身近に感じる機会はあったようです。
○手原に駅を!
 大正時代になると、既に国有化されていた草津線への新たな駅の設置を求める機運が高まりを見せるようになります。大正8年(1919)、葉山村手原の人々が中心となって結成した手原駅創設期成会が、葉山村議会に新たな駅の設置の企画を提出しました。葉山村議会ではこれを可決し、翌大正9年(1920)には、治田・金勝・葉山・大宝の4つの村の村長の連名により、神戸鉄道局へ新たな駅の設置の請願を行っています。
 手原駅創設期成会では、神戸鉄道局より示された用地の確保や建築費の寄付、新道路の敷設など、新たな駅の設置のための条件をクリアするため、精力的に環境整備を進めました。そのメンバーの1人が、手原に生まれた郷土史家・里内勝治郎(1877〜1956)で、彼が遺した郷土資料コレクション『里内文庫資料』(滋賀県指定有形文化財)には、手原駅の設置に関わる資料も多く含まれています。地元の人々の情熱的な活動の甲斐もあって、大正11年(1922)4月に着工した手原駅は、同年11月5日に開業し、盛大な祝賀会が開催されました。
 ここで注目しておきたいのは、手原駅の開業は、のちの昭和23年(1948)に組合立の栗東中学校を開校させ、昭和29年(1954)には合併して栗東町となる治田・金勝・葉山・大宝の4つの村が、協力して成し遂げた一大事業であったということです。手原駅の開業は、現在まで続く栗東というまちのあゆみの第一歩だったと言えるでしょう。
○手孕伝説と手原駅
 手原という地名の由来をご存知でしょうか。手原の地名は古くは「手孕村」と書かれ、女性の腹に手を置いていたら赤ん坊が産まれた、あるいは女性が手を産んだという少し奇妙な伝説(「手孕伝説」)がその由来とされています。
 手原の地名と手孕伝説は、街道が発達した江戸時代には全国に知られるようになり、名所図会などの出版物でも紹介されました。また、人形浄瑠璃の「源平布引滝」の題材としても取り入れられた手孕伝説は、歌舞伎でも上演されることとなり、古典楽劇の世界でも有名な存在となっていきます。
 平成16年(2004)に実施された手原駅の改築工事では、駅のデザインが公募され、地元の人の発案により、「源平布引滝」で手孕伝説の舞台となる入母屋造りの民家をイメージした外観が採用されました。また、駅前には手孕伝説をモチーフにしたモニュメントも建てられています。かつて、街道を通じて全国に知られ、古典楽劇の世界で親しまれた手孕伝説は、地域のシンボルとしてよみがえることとなりました。
○栗東の玄関口・情報発信拠点
 手原駅では、平成24年(2012)に観光案内所がオープンしました。観光客を出迎える玄関口として、観光に関することはもちろん、特産品や土産品もそろえ、栗東に関するさまざまな情報を発信する拠点となっています。
 観光案内所を運営する観光協会では、かつて栗東の地に置かれた立場にちなんだ「たてば珈琲」を販売し、観光客のみならず、手原駅を利用する人が気軽に立ち寄れる場所となっています。
栗東歴史民俗博物館
手原駅開業100周年記念展『街道から鉄道へ』
手原駅が開業した時代を振り返り、手原駅の開業がその後のまちに与えた影響についても紹介します。
日時 9月17日(土)〜11月6日(日)
※詳細はこちらをご覧ください
手原駅開業100周年記念
まちの魅力を体感して まちの未来を考えよう
手原駅マルシェ
日時 9月19日(祝) 10:00〜15:00 ※荒天候の場合は9月24日(土)
主催 (公社)栗東青年会議所
共催 (一社)栗東市観光協会、手原繁栄会、手原SL同好会、手原自治会
問合せ (公社)栗東青年会議所 TEL.553-1250
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