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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 栗東は国道1号、8号や名神高速道路が通過する交通ネットワークの結節点です。江戸時代には五街道である東海道・中山道が整備され、人々の往来が盛んでした。こうした交通のにぎわいはいつからあったのでしょうか。それを知ることができる手がかりが市内の遺跡発掘調査で発見されています。
 今回紹介する上鈎遺跡も、そんな道にまつわる遺跡の紹介となります。
 2022年に調査した上鈎遺跡の調査地から見つかった遺構(写真左)は、波板状凹凸面と呼びます。一見すると、細長い穴が並んでいるようにしか見えません。しかし、この変哲もない凹凸は、古代の道があった場所で、路面の下によくみられる遺構なのです。この遺構が見つかったことによって、上鈎遺跡に、約1200年前の道が存在したことがわかりました。今回見つかった遺構は、後世の削平によって一部分しか残っていませんが、本来は見つかった部分以上に、北東から南西にかけて長く伸びた直線の道であったようです。
 古代の道路の路面下にこのような穴を掘る理由は、はっきりとしていません。しかし、日本各地で見つかっている同じ道路の遺構にも、踏み固められた砂や土が入っていること、周囲より標高が低く、浸水しやすい地域で見つかることが多いことから、路面の湿気抜きや陥没の補強のためにつくられた遺構ではないかと考えられています。また、このような道路の補強は、日々の生活道路に施すには手間がかかりすぎるため、官道や主に牛馬が通る道、つまりモノの輸送に使われた道に施される工夫と考えられています。
 古代の官道はほぼ直線で構成されていたと考えられていますが、現在の東海道は、川の自然堤防などを活用して、少し曲がりくねった部分があるため、古代の官道とは道筋が若干が異なることが分かっています。
 今回見つかった地味な凹凸の遺構が、現代に伝わっている道とは違う古代官道の姿を伝えてくれるかもしれません。
問合せ
出土文化財センター TEL.553-3359 FAX.553-3514
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