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市役所正面玄関を入り右奥に進むと1体の兜・甲冑が展示されています。
本市騎馬行列で室町幕府第9代将軍足利義尚公役が羽織ったものです。瞼を閉じると、足利家累代の鎧、赤地金襴に桐唐草模様の直垂をまとった往時の義尚公の颯爽とした姿が浮かびます。義尚は銀閣寺を建立した8代将軍足利義政と日野富子の子として寛正6年(1465)に生まれ、「応仁・文明の乱」の最中9歳で9代将軍に就きました。幕府の権威が衰退していく中、将軍義尚は復活を目指し、長享元年(1487)9月軍勢と幕府の実務者を率いて、守護六角高順討伐のため近江に出陣。影響力が強い父からの自立が理由ともいわれています。坂本に着陣後、鈎の安養寺(東方山安養寺)へ、さらに鈎の真宝館に移りました。
長享3年(1489)3月に没するまでの1年半、本市が政治の中心となり地名をとり「鈎の陣所」と呼ばれました。陣とは軍勢の駐屯地で、将軍の居所である御所を中心にいくつもの陣があり、上鈎や下鈎にその名残の土塁や堀が残っています。
上鈎池西の「鈎陣所跡」公園には歌碑があり、義尚は着陣後に父へ、「坂本のはまちを過てなみ安くやしなふ(養う)寺に住とこたへよ」と詠み、父義政は都より「やがてはや國治まりて民安くやしなう(養う)寺も立ちそかへらん」と返歌。ともに陣所を構えた「安養寺」を織り込んでいます。歌碑からは、永く都を離れ陣所に滞在し、将軍権威復活と自立に悩む若き義尚の心の内がしのばれます。
公園前は旧東海道が通り、川辺、目川を経て草津本陣に至ります。将軍が住んでいた御所跡は、この地ではなく上鈎の永正寺付近が有力とされます。正門前には説明板があり境内は落ち着きあるたたずまいです。当時の将軍御所では政治や裁判などが行われており、本市が日本の「首都」であったようです。本市の華やかだった530余年前の出来事に想いをはせ、義尚ゆかりの地、旧東海道を巡ってみませんか。
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問合せ
商工観光労政課 TEL.551-0236 FAX.551-0148
永正寺 TEL.552-0071 |
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