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りっとう再発見 栗東に残る日清戦争
 令和4年11月、ユネスコ無形文化遺産に登録された風流踊の一つ、「小杖祭りの祭礼芸能」は小槻大社(下戸山)の春の例祭で行われる芸能です。大きな花傘の下、華やかに着飾った太鼓受け、太鼓打ちの子どもが笛や鉦の囃子に合わせて踊りながら太鼓を打ち鳴らします。大字岡は氏子地区として、寅・巳・亥年にこの祭りを担っています。また、これ以外の干支にもそれぞれ担当する地区が決められていますが、興味深いのは、岡だけが他と違って大字単位ではなく、大字下戸山のなか、小槻大社に隣接する宮ケ尻という地域と合同で祭りを担っている点です。その理由は、宮ケ尻は岡から移住した住民の末裔だからと伝わります。
 岡から宮ケ尻への移住について、確たる資料は残っていませんが、岡は歴史的にみても下戸山とつながりの深い地域です。小槻大社に祖神落別命を祭った小槻山君(小槻氏)が郡司(長官)を務めた古代栗太郡の役所、栗太郡衙は岡を中心とした地域に営まれ、この辺り一帯を治めた豪族のものと考えられる地山古墳は岡にあります。
 平安時代以降、小槻山君の一部は都に移住、中世になると小槻大社を離れ、大宝神社(綣)の神主となったことが確認されています。代わって小槻大社の祭祀を担うようになったのが新興勢力の青地氏と、その配下で地域をまとめていた有力な村人たちです。小槻氏が去った後を埋めるように岡の住民がその膝元に移住したと伝わるのは、岡が特に小槻大社の祭祀を支える地域であったことを示しているのでしょう。祭祀権が小槻氏から青地氏へ移動したことは、小槻一族だけの氏神であった小槻大社が、地域の人たちの氏神へと性質を変貌させたことを示しています。「小杖祭りの祭礼芸能」のような風流踊が神社の祭礼のなかに取り込まれていくのも、この過程の中でのことです。

■小地域展「岡の歴史と文化」
会期 3月9日(土)から

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問合せ
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733 FAX.554-2755
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