井戸から出土した落とし物?(下鈎・野尻遺跡)
上下水道が完備され、蛇口をひねれば水が出る。という環境は戦後本格的に整備されたもので、それまで人々が飲み水を確保するために大きな役割を担っていたのが井戸でした。本市でも集落内のあちこちで井戸が掘られ、人々の暮らしを支えました。
一方で、発掘調査でも井戸は人々の生活に密接に関係していることから、大変興味深いものです。それは水が濁ったなどの理由で廃棄され、埋められる際にその当時に使われたもの(廃棄物)を投げ入れたことが多いからです。しかも、廃棄物が落下した時に、井戸水がクッションとなったり、水と粘土によって空気が遮断されることで遺物が風化しにくい状態になります。大昔の鮮度を保ったものが埋もれている井戸は歴史の宝箱と言っていいかもしれません。
今回紹介する下鈎・野尻遺跡で見つかった井戸からも、さまざまなものが出土しました。写真①は金槌(かなづち)です。長さ約27㎝、金属部分の大きさは約8㎝で、泥にまみれた状態で出土しました。洗浄した姿が写真②です。まるで古びた金槌を誰かが落としたのでは?と疑ってしまうぐらい、現代のものと大きさ質感共に変わりません。この金槌は、同時に出土した土器によって13世紀(鎌倉時代末期)のものであると考えられます。
金槌の材料である鉄や木は空気に触れていると錆びたり風化して原型がなくなるのですが、井戸の中で空気から遮断されていたため、木の持ち手に鉄の頭がついたままという、ほぼ完全な形で見つかりました。
実はこの金槌、発掘調査で出土することは多くありません。近隣の出土例ですと、戦国期の一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだにあさくらしいせき)(福井県)など限られた地域でしか出土していません。当時の木造建築には釘が使用されていたことから、金槌自体はありふれた道具であったと考えられますが、金槌に使われる鉄や木はリサイクルが可能なので、壊れたら別の道具に作り替えられることが多く、あまり残ってないのです。
今回の金槌は、特段壊(こわ)れた様子もありませんし、頭の部分が井戸底に突き刺さるように見つかったため、誰かが井戸に落としてしまったと考えられます。また、その横には20㎝四方の木箱も一緒に見つかりました(写真③)。箱作りをしていたのか、弁当を食べていたのか……金槌は何も語ってはくれませんが、筆者としてはなんとなくおっちょこちょいな職人の姿を想像してしまいます。
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