地域の文人 竹村栗軒 (たけむら りっけん) 竹村徹雄、雅号を栗軒という。明治22年(1889)、金勝荒張(現 栗東市荒張)の走井にある善福寺に生まれ、没年は昭和58年(1983)、享年93歳であった。父、竹村得雄(嘉永2年、1848〜昭和12年、1937)も湘雲という雅号を持ち、山水画を得意としていた。 栗軒は、善福寺の住職を務める傍ら、金勝村役場に勤務、また近江新報の記者をしていたという。幼い頃から詩画を好み、十代のときから盛んに『秀才文壇』に投稿し、詩文の才を磨いていった。いずれにしても父湘雲の導くところが大きかったのだろう。 走井を歩いて襖絵を見せていただくと、しばしば湘雲あるいは栗軒の描いた襖絵に出会う。栗軒は南画を松尾晩翠に学ぶという。大正7年3月、名古屋実業新聞社主催の全国絵画展覧会に「竹」を出品し三等褒状、大正10年2月1日には日本研美会主催の全国絵画実力調査会に「水墨山水之図」入賞し名誉壱等金賞牌を受けている。さらに昭和9年、南画鑑賞会の第一回習画会に「盛於唐」、同10年の第二回習画会に「羅美人」を出品して入選を果たしている。栗軒の描いたのは南画だけではなかった。善福寺に伝わる仏涅槃図は本格的な仏画となっていて、余技の範疇を超えている。 詩は蓮井露香に学び、雑誌『大法輪』に長年にわたって投稿し続けた成果が蓄積されている。『大法輪』の漢詩を追っていく作業は、竹村栗軒の歩みそのものをたどることになるだろう。 第1回マイ・ミュージアム展には、竹村栗軒という地域に根ざして活躍した人物の紹介をしたいという思いから、何点かの出品を特にお願いした。これをささやかな第一歩として、今後さらに父竹村湘雲と栗軒の作品の掘りおこしを進め、その足跡を記録していくこととしたい。 ●ちょっとのぞいてみよう● 竹村栗軒筆 芭蕉図 (個人蔵) 栗軒の作品に多いのは山水図だが、草花を主題とした作品もよくみることができる。この芭蕉図の款記には「己卯夏日」とあり、昭和14年(1939)の作になる。画面左側にのびのびとした芭蕉を描き、下部中央部には薔薇を配して、空間のバランスをとるとともに、盛夏を迎える直前の季節感を出しているように見える。栗軒、50歳のときの作品である。 |