テーマ展
近江の彫刻 ―金勝谷(こんぜだに)の天台彫刻―
会期:2007年6月16日(土)〜7月22日(日)
木造千手観音立像(重要文化財) 善勝寺蔵
栗東では古くから、南部に広がる山中にある金勝寺(こんしょうじ)を中心に仏教文化が栄えました。
金勝寺は、奈良時代に奈良東大寺周辺で活躍した良弁僧正によってひらかれ、平安時代初期に興福寺の願安によって伽藍が整備されています。はじめは奈良の仏教文化の強い影響のもと、法相系の寺院としてはじまったのです。
しかし、平安時代なかばの10世紀から11世紀ごろになると、対岸の比叡山を中心とした天台宗の影響が、しだいに近江全域に色濃くひろがっていきます。金勝寺とその周辺にも、平安時代10世紀末ごろより、天台の影響をうかがわせる彫刻が見られるようになるのです。
ここに挙げた千手観音立像は、金勝山(こんぜやま)の北にひろがる金勝谷(こんぜだに)のふもとにある善勝寺(栗東市御園)の本尊です。頭から足までの体のほぼすべてを、木心を像のほぼ中央に込めた一続きの材から彫り出しています。どっしりとして丸みを帯びた体躯からは、おちついた存在感が伝わってきます。10世紀末から11世紀初頭の栗東を代表する作品のひとつといえるでしょう。
本像の特徴は、中央の顔(本面)の左右に、さらに大ぶりの顔(脇面)があらわされていることです。通常の千手観音は、頭上に小ぶりの菩薩面を並べることはしても、本像のように大きな脇面をあらわすことはありません。
大きい脇面をもつ千手観音像の例には、ほかに京都法性寺像、京都正法寺(旧九品寺)像、福井妙楽寺像などが知られています。京都法性寺の千手観音立像の造像には、天台僧尊意(866〜940)の関与があったことが推測されています。また千手観音像ではありませんが、やはり大きい脇面を持つ高月町向源寺(渡岸寺)十一面観音立像にも、比叡山興隆の基礎を築いたひとりである慈覚大師円仁(794〜864)の請来した図像に関わる可能性が指摘されています。こういったことから、本像の造像背景にも、天台の影響が存在した可能性が考えられるのです。
本展では、新たに当館の寄託資料となった善勝寺千手観音立像をはじめ、金勝寺周辺の彫刻から、天台勢力伸展のありさまをうかがいます。
◎学芸員による展示解説会
6月24日(日) 午後1時半〜(1時間程度)
展覧会会場にて
【出品目録】
1.天台勢力の伸展 | |||||||
1 | △ | 木造薬師如来坐像 | 1躯 | 東方寺 | 平安時代 | 像高84.6p | |
2 | □ | 木造十一面観音(伝日光菩薩)立像 | 1躯 | 東方寺 | 平安時代 | 像高164.5p | |
3 | □ | 木造月光菩薩立像 | 1躯 | 東方寺 | 平安時代 | 像高166.8p | |
4 | ◎ | 木造千手観音立像 | 1躯 | 善勝寺 | 平安時代 | 像高175.0p | |
2.金勝谷の薬師如来とその周辺 | |||||||
5 | ◎ | 木造薬師如来坐像 | 1躯 | 善勝寺 | 平安時代 | 像高139.8p | |
6 | □ | 木造日光菩薩立像 | 1躯 | 善勝寺 | 平安時代 | 像高160.4p | |
7 | □ | 木造月光菩薩立像 | 1躯 | 善勝寺 | 平安時代 | 像高168.3p | |
8 | 木造地蔵菩薩立像 | 1躯 | 善勝寺 | 平安時代 | 像高92.5p | ||
9 | 木造毘沙門天立像 | 1躯 | 善勝寺 | 平安時代 | 像高85.4p | ||
10 | □ | 木造薬師如来坐像 | 1躯 | 薬師寺 | 平安時代 | 像高135.1p | |
11 | □ | 木造二天立像 | 1躯 | 薬師寺 | 平安時代 | 像高97.5p(持国天) 95.4p(多聞天) |
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12 | △ | 木造四天王立像 | 2躯 | 金勝寺 (山口寺旧蔵) |
平安時代 | 像高130.3p(閉口) 130.7p(開口) |
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13 | 木造薬師如来坐像 | 1躯 | 成谷寺 | 平安時代 | 像高85.2p | ||
3.天台から浄土へ | |||||||
14 | □ | 木造阿弥陀如来立像 | 1躯 | 阿弥陀寺 | 平安時代 | 像高52.3p |
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