東坂の歴史と文化

2012年3月3日(土)〜4月15日(日)

 栗東歴史民俗博物館では平成12年度から毎年度、市内のひとつの大字を取上げ、その歴史と文化を紹介する展覧会を開催してきました。平成23年度は旧金勝村から、金勝川上流の山麓に位置する東坂地区を取り上げます。
 東坂という地名は、金勝寺に登る東側の参道にあたることに由来し、平安時代の金勝寺の寺領を描いたとされる『金勝寺四至絵図』にも、「東坂本」という地名が記されています。永正6年(1509)の年紀を持つ敬恩寺(栗東市荒張)蔵の本尊阿弥陀如来の台座には、「東坂番匠彦六衛門」の墨書が残されており、当地に番匠が居住していたことが知られます。
 応永20年(1413)、栗太郡河辺(栗東市川辺)出身の僧隆堯は、当時女人禁制の地であった金勝山から東坂の地に下り、草庵を結びました。文明17年(1485)には、厳誉宗真によって伽藍が整備され、阿弥陀寺と称するようになります。阿弥陀寺は、織田信長が天正6年(1578)に安土の浄厳院を建立するまで、近江の浄土宗の本寺としての地位を占めていました。
 江戸時代の東坂村は、石高255石ほどの農村で、石部宿の助郷も担っていました。江戸時代を通じて概ね同じような石高を維持しましたが、宝暦6年(1756)に発生した水害によって、大きな被害を受けたことも伝わっています。
 阿弥陀寺の寺勢は、江戸時代には衰えたものの、開祖隆堯が伊勢神宮に参籠した際に天照大神から賜ったという言い伝えを持つ本尊阿弥陀如来立像は、「天照仏」と呼ばれて信仰を集めました。近代に入ると、地域の景勝地を顕彰する動きの中で、阿弥陀寺も風光明媚な地として脚光を浴びるようになります。 小地域展「東坂の歴史と文化」では、東坂地区の歴史や、今日まで続く民俗行事についてご紹介します。今回の展示が、皆さまに郷土の歴史を知っていただく機会となれば幸いです。

 
  


【展示構成】
 出品目録はこちらをご覧下さい。
○平安の仏―天照仏
○江戸時代の東坂村
 ・村の支配
 ・村の生活
 ・宝暦六年の水害
○習俗と年中行事
○阿弥陀寺をめぐる
 ・開祖隆堯
 ・繁栄と残照
 ・近代に続く信仰
 ・弥陀寺啼鳴
○東坂の民具
○東坂と茶栽培
○鎮魂の響き

展示解説集はこちら(PDFファイル、126KB)

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