【平成4年度の展覧会】

◆第2回里内文庫展「里内文庫と絵図」
会期:平成4年3月21日から平成4年4月26日まで

 館蔵里内文庫コレクションを紹介する第2回展は、絵図・地図をテーマに54点を出品しました。主な資料としては元禄国絵図の写本である「近江国絵図」、貞享年間の瀬田川筋土砂止め工事に際して作成された「膳所藩領絵図」、江戸前期の「手原村絵図」、版本では「大日本細見指掌全図」、「近江国細見図」、「鳥瞰日本図」などの里内文庫資料に加え、伊能忠敬の「琵琶湖図」(佐原市蔵・重文)、「五天竺図」(浄厳院蔵)を出品しました。


◆馬の博物館所蔵品 
会期:平成4年4月29日から平成4年5月31日まで

 日本での近代様式競馬の歴史は、幕末という大きな転換期のなか文明開化とともに始まりました。慶応2年(1868)には、横浜の根岸に競馬場ができ80年におよぶ歴史が刻まれています。この博物館跡地を永く記念するため、根岸記念公苑がひらかれ昭和52年(1977)に馬の博物館が建設されました。この博物館は、人間の歴史と文化に大きな係りをもった「馬」をテーマに馬を専門的に扱うユニークな博物館です。当博物館では、財団法人「馬事文化財団」との共催事業として馬の博物館に所蔵される多くの資料の中から「武士と馬」をテーマに「厩馬図屏風」をはじめ「賤ケ岳合戦図屏風」鎌倉末期に描かれた「騎馬図」など優品を選定し、また民俗資料として貴重な「わらうま」を紹介し、馬と人との交流の一端を紹介しました。


◆第1回マイ・コレクション展
会期:@平成4年6月6日から平成4年6月21日まで A平成4年6月23日から平成4年7月5日まで

 マイ・コレクション展では、町民のみなさんの集められたコレクションや思い出の品、先祖から伝わる大切な家宝の品々を出品していただき、これらをもとに展観しました。


◆栗東の民具「くらしと道具」
会期:平成4年7月10日から平成4年8月10日まで

 博物館では、今日までに収集した民具は約4,200点、2,414件が登録されています。民具は我々の身近な周囲にある親しみやすい文化財の一つです。しかし、実用の生活用具であるため利用価値を失うと惜しげもなく捨てられてしまう運命にあります。私達の祖先が日常くらしていかなければならないために、創造し、改良し、工夫してきた「生活体験の結晶」であるこうした民具は、同時に我が国の伝統文化の基礎をなしてきたともいわれています。この展覧会では、収蔵している民具のうち「くらしと道具」にスポットを当て @はたらく〜米をつくる A家のくらし〜明かりと食卓〜 B晴れの日〜衣装と道具〜 の3つのテーマで展示し、今日ではすっかり見られなくなった道具を見つめ直し、いかに現在の生活の基礎が先人の知恵と工夫の上に成り立っているものかを考えてみようと展示したものです。


◆平成3年栗東町埋蔵文化財発掘調査速報展 
会期:平成4年8月4日から平成4年8月30日まで

 弥生時代になって水田の技術が北部九州から西日本各地へと広がっていくとき、ものを貯蔵するのに用いる壺、ものを煮炊きするのに用いる甕、ものを盛るための高杯といった土器がセットであまり形を変えずにいっしょに広がっていきます。これらの土器は最初に九州の遠賀川流域で発見されたことから遠賀川土器と呼ばれ、前期弥生土器を代表するもので栗東でも霊仙寺遺跡から出土しています。弥生時代中期になって水田稲作が定着し拡大してくると、土器も各地でそれぞれ特徴のあるものがつくられるようになってきます。今回の展示では、中沢遺跡から出土した口縁が受口状になった近江(滋賀県)独特の特徴をもった弥生時代後期の土器や十里遺跡から出土した若狭や丹後地方の影響をうけた高杯等昨年度町内で発掘調査した成果を「速報展」として紹介しました。


◆平和のいしずえ展  
会期:平成4年8月4日から平成4年8月16日まで

 身近な歴史のなかの戦争を振り返りながら平和について考えました。本展では、西南戦争から第二次大戦の従軍者遺品、大津駐屯の歩兵第9連隊等の軍隊生活、戦いを支えた銃後の人々の暮らしと心情、子供たちの見た戦争などにスポットを当て、新しい時代の「平和のいしずえ」を探ろうとしました。


◆第3回里内文庫展「里内文庫の碑文拓本」
会期:平成4年9月8日から平成4年10月4日まで

 明治7年(1874)葉山村手原に生まれた里内勝治郎は明治41年(1908)明治の図書館「里内文庫」を創設しました。彼は多様な資料を収集し多くの部門に分類しました。なかでも大正期に入ってから設けられた金石文部では、滋賀県南部を中心とする各種の碑文拓本を軸装し、展示などに活用したのです。
 今回の展示では、勝治郎の郷土史家としての側面に焦点を当て、交通の不便だった時代、県内各地を飛び回り採取した拓本とその関連資料を紹介しました。


◆企画展「近江と黄檗宗の美術」
会期:平成4年10月10日から平成4年11月8日まで

 平成4年(1992)は隠元の生誕400年にあたります。本館ではこれを記念して「近江と黄檗宗の美術」を開催いたしました。江戸時代のはじめ、中国から渡ってきた隠元禅師(1592〜1673)は、京都宇治に黄檗山万福寺を建立し、新しい禅宗の一派日本黄檗宗の開山となりました。黄檗宗では多くの渡来僧により中国明時代末期に行われていた法式がそのまま移植されました。最新の中国文化は江戸時代の人々に新鮮な刺激と影響を与えたものです。栗東町内の黄檗寺院は、小野の万年寺と北中小路の円光寺ですが江戸時代には、上山依村に智即寺、東坂には大日寺がありました。小野万年寺には新たにもたらされた黄檗文化ばかりではなく小野寺から多くの遺産を受け継いでいます。鎌倉時代の聖観音立像(町指定)、元亨2年銘鰐口(県指定:甲西町正福寺)など、承和2年(835)の開基と伝える小野寺の遺物です。小野寺の鎮守社であった白鬚神社にも永享5年(1433)三十番神画像(町指定)を伝えています。このように、近江の黄檗寺院は、荒廃している寺院を中興していることが多く、天台宗をはじめ古くから仏教文化の栄えた歴史的風土の上に成立しています。


◆企画展「四季耕作図の世界と農具―描かれた農事風景―」
会期:平成4年11月13日から平成4年12月13日まで

 日本経済の高度経済成長以後の生活環境の変貌ぶりは、核家族化、過疎化、都市の過密化を招き日本列島の原風景がどのようなものであったかさえわからなくなってしまっています。農業の基本であった米作りの機械化が進み、民具・農具といった手に持つ道具は目にすることすらできなくなってきました。こうした状況は米作りを行ってきた村に限らず、山の暮らし、海の暮らしを続けてきた村にも少なからず影響しています。山に海にそして村々に永々として働き続けてきた村にも少なからず影響しています。山に海にそして村々に永々として働き続けてきた人々の姿は記録によってしかうかがい知ることができなくなってしまいました。この展覧会では、絵画・屏風・襖・絵馬・版本などに描かれた日本人が働いてきたその姿を見つめ直そうとしたものです。


◆企画展「江戸の看板―文字のメッセージ―」
会期:平成4年12月19日から平成5年1月31日まで

 看板は、最も古く基本的な広告媒体です。日本での起源も古代にもとめられますが、広く普及するのは江戸時代後期、商業発達と識字率の向上を背景に全国的に看板文化の花が咲きました。東海道と中山道という交通の二大動脈が通じる近江国においても、大都市文化との交流のなかで多くの「江戸の看板」が伝えられています。栗東町六地蔵の道中薬「和中散」、「亀屋もぐさ」、東海道大津宿の「池の川御針所」、「大津算盤」、草津宿の「うばがもち屋」、中山道鳥居本宿の「赤玉神教丸」、日野の「万病感応丸」といった近江を代表する名物の看板を始めとして、伊勢参宮の講招牌や、日用品を商った町や村の看板も含めて116点を出品。多彩な意匠と造形で旅人の目を楽しませ、道行く人に文字のメッセージを送り続けた看板を通して、近江の広告史を探るとともに、庶民文化と文字の関わりを考えました。


◆企画展「古代・地方の役所」
会期:平成5年2月6日から平成5年3月21日まで

 7世紀になると、古墳時代を通じて地方に勢力を広げていた大和王権が中央集権的な国家を目指すようになり、その社会の仕組みの基本には国家が「律令などの法令により土地や人々を支配するという律令制」が据えられました。この制度を具現化するため地方は国、郡(評)、里(郷)にわけられ、それぞれに国衙や郡衙といった役所が設置され役人が勤務していました。滋賀では、国衙が旧栗太郡の瀬田地域に所在していたことが明らかになっていましたが、郡衙についてはいずれの郡でも明確な遺跡は確認されていませんでした。昭和61年(1986)栗東町で栗太郡衙と考えられる遺跡が発見されました。これが岡遺跡で郡衙の施設としての役割を想定できる規格性をもった建物群が多数確認されています。今回の展示では岡遺跡の発掘調査によって得られた資料と各地の官衙に関する資料を展示し、郡衙を中心とした古代における地方の役所の姿・役割を紹介することにより、岡遺跡のもつ意義について考えていこうとしたものです。

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栗 東 歴 史 民 俗 博 物 館
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