笠寺高射砲陣地と見晴台遺跡

昭和17年(1942)4月18日、B25によって日本への初空襲が行われると、防空体制を整える必要性に迫られるようになります。
そのような中、名古屋市南部地区の防衛のために構築された高射砲陣地の1つに数えられるのが、笠寺台地に設置された笠寺高射砲陣地です。

昭和17年(1942)11月から構築された当陣地には、当初4門の高射砲が設置されていましたが、翌年6月からの再構築によって、高射砲は6門に増やされています。
6門の砲座は、笠寺台地の東南端に設置された陣地の南側に向かって、半円を描くように配置されていました。
現在ではそれらの砲座のうち、第2分隊・第6分隊が用いた2基の砲座が残されています。


笠寺高射砲陣地 第2分隊砲座

笠寺高射砲陣地 第6分隊砲座


笠寺台地では、昭和15年(1940)頃には土器の出土が確認されており、遺跡(見晴台遺跡)として知られていました。
戦後、笠寺台地周辺が都市公園として開発されることとなったのを契機に、昭和39年(1964)から発掘調査が始められました。
発掘調査によって、弥生時代の環濠集落、平安時代から室町時代にかけての遺物が発見されたほか、高射砲陣地に関わる遺構や遺物も見つかっています。

見晴台遺跡に関する情報収集・調査研究・展示公開を行う期間として設置されたのが、名古屋市見晴台考古資料館です。昭和54年(1979)に開館した同資料館は、現在では名古屋市内の埋蔵文化財の調査も行っています。

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