「国際博物館の日」記念事業

特別陳列
栗東とくすり 


平成18年(2006)3月26日(日)から5月7日(日)まで

会場風景


 健やかに生活したいという願いは、時代を問わず普遍のものといえるでしょう。なるべくなら病を避け、あるいは軽くとどめようとする医薬もまた、人々の生活に密接に結びついてきたものでした。
 江戸時代の栗東において「くすり」といえば、なんといっても東海道梅ノ木立場の腹薬「和中散」が全国的に有名でした。しかしそのほかにも、手原の猪飼家、出庭の園田久寿軒、下戸山の川ア翠松軒、綣の薬屋源兵衛家など、東海道中山道沿いの村々の薬屋を中心に多くのくすりが作られていたのです。また伊勢落の徳生寺、綣の佛眼寺や大宝神社など、寺社の信仰と結びついたものも多くありました。
 これらのくすりの多くは、明治以降、医薬を取り巻く制度の近代化や、西洋医学の流入に伴い、やがて消えていきました。しかしその痕跡は、伝来の医薬資料のみならず、屋号や地名などとしても今に伝えられています。
 この展覧会では、栗東という土地にはぐくまれた医薬の中でも、とくに「くすり」に焦点を当てます。
 版木や引札(ひきふだ)看板などの薬の宣伝に関わる資料や、明治以降の制度の改変に関わる諸手続きの資料、人々の知恵から生まれた民間療法、各家におかれた薬箱など、江戸時代から昭和ごろまでの様相を紹介します。


≪展示構成≫ →出品目録はこちらをご覧ください

 1・街道とくすり
 2・医師とくすり
 3.医薬の近代化と売薬のひろがり
 4.民間療法の世界
 スポット 病とまじない


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特別陳列「栗東とくすり」解説集

特別陳列「栗東とくすり」出品目録


東海道梅ノ木立場(うめのきたてば 現在の栗東市六地蔵)で販売されていた腹薬「和中散」の包紙。中央に「和中散」の名を、左右に効能を記している。

効能には右から「むし(虫=子どもの虚弱体質)」「しやく(癪 しゃく=さし込み。胃けいれんなど胸部腹部のけいれん痛)」「こはりはら(壊腹=おなかをこわす)」「むなおひ(?)」「ふしよく(不食=食欲不振)」「しょくだゝり(食滞=胃もたれ)」「くだりはら(下腹=下痢)」「なめ(白痢=血液を含まない粘液質の混ざった下痢)」「しぶりはら(渋腹=便意があってもほとんど出ない状態。直腸の激しい炎症や赤痢などの下痢)」「上気(じょうき=のぼせること)」「くわくらん(霍乱 かくらん=暑気あたり)」「ねびえ(寝冷え)」「たんせき(胆石)」「せんき(疝気=下腹の痛み)」「すん白(寸白=条虫などの寄生虫とそれによる腰痛)」「ちのミち(血の道=婦人病)」「さんご(産後)」「さんぜん(産前)」を記し、これらのいずれにも効くとしている。


「右に和中散うる家あり、ぜさいとしるせり」
(享和2年(1802)に大坂から江戸に旅した大田蜀山人の紀行文『壬戌紀行』より)

中山道沿いの綣に江戸時代から続いた薬屋「薬源商舗」の軒先に、昭和はじめごろに掲げられていた看板。下方に特約店として「薬源商舗」の名が入れられている。
このころになると全国規模で販売される薬が多く、「胃活」は当時広く知られた胃薬のひとつだった。

「下痢止めは売薬で沢山にて小林博士の薬局を煩わす迄もないから、もし何か買へたらその事はお願ひしなくてもいいと云った。買つて来いといつたのは時代遅れ乍ら昔からの馴染みのヘルプを第一としビオフエルミン、わかまつ、梅肉エキス等又序に胃活胃散もあったら買つておく。その外蚊の食つた後につける痒み止めのクリーム等をメモにして家内に持たせてやった。」
(東京大空襲の前後の日々を記した内田百閧フ日記『東京焼盡』より昭和20年6月23日の記事の一部)


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