栗東よもやま話(8)
大宝神社禅定と近江西国三十三所巡礼   栗東市綣




 江戸時代末の嘉永5年(1852)9月、大宝神社の禅定は近江西国三十三所巡礼に旅立ちました。

 この年の正月、禅定は隠居願いを提出しています。文政6年(1823)ごろに別当神応院を継いでから、実に約30年が経過していました。息子の禅覚はこのとき25歳。4月の卯月祭礼、8月の相撲祭(そうもくさい)(いずれも当時)という一年の主だった祭を無事に終え、安心して後を託した思いだったのでしょう。納経帳の表紙には「栗太郡大宝天皇宮社家隠居禅定」と記され、まさに人生の節目を記念した巡礼だったことがうかがえます。

 近江西国三十三所は、西国三十三所の巡礼にならって近江(滋賀県)を範囲に選定された観音霊場です。金勝寺(栗東市荒張)とも関わりの深い常楽寺(湖南市西寺)を最初の札所とし、33番の妙感寺(同 三雲)まで、時計回りに琵琶湖を大きく1周します。寛文8年(1668)までに成立し、庶民の旅の盛んになった江戸時代後期には多くの参拝者を迎えたようです。

 平安時代末に成立した西国三十三所巡礼は、和歌山、大阪、奈良、京都、滋賀、兵庫、岐阜の2府5県にわたり、健脚の人でも3か月半から4か月を要しました。そこで西国三十三所巡礼が広く親しまれるようになった室町時代後期以降、体力や時間のない人でも巡礼ができるよう、小規模な写し霊場が各地に設けられました。近江西国三十三所もその一つです。

 県内には他にも野洲郡域の湖東三十三所、甲賀郡を巡る甲賀三十三所など多くの写し霊場が知られています。今のところ栗太郡を範囲とするものは確認できませんが、湖東三十三所をすべて巡った後、さらに新善光寺(栗東市林)に参ることを記した資料が残っています。

(「りっとう再発見」19 『広報りっとう』813号(2006年10月号)掲載)


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